みみずのたわごと ホームへ
農場主がアンナプルナ通信で毎回連載しているエッセー。農作業の合間に気づいたこと、日頃感じていること、分野を問わず書き続けています。
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あたらしい年が明けても、残念ながら暗いニュースが跡を絶たない。一番はイスラエル軍がパレスチナ・ガザ地区で行なってきた虐殺行為である◆わが伊那市の半分ほどの面積の地域に実に百五十万人がひしめき合う、世界でも有数の人口密集地。停戦の発表があったとはいえ、空爆などですでに千三百人を超す犠牲者が出た。イスラエルの蛮行は許されない◆遠い国のできごと、と済ます訳にはいかない。コカコーラやマクドナルド、インテル、ネスレといった私達にもお馴染みの大企業の多くがイスラエルを支援したりパレスチナの土地を圧迫している◆メディアリテラシーも求められる。「攻撃をテロに対する自衛と位置付けている」(岡真理・京大准教授)日本のマスコミは、おしなべてパレスチナの与党・ハマスを「武装勢力」などと片付けて真相を見えづらくしているからだ◆そんな中、何が自分たちにできるだろうか。岡さんは前述の企業製品をボイコットするなど「二十五の行動」を提案している。詳細は農場ブログでご確認を。 (第75号・1月19日)
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「この中で動物園とかテレビでなく、実際にその辺でキツネを見たことがあるひとー」という問いに、我が子を含めクラスの大半が手を挙げる。さすがイナカの子と思わずうなずいた◆月に一回、娘が通う小学校で「読書ボランティア」をしている。ほかのメンバーは母親ばかりだが、農作業が一段落する秋以降は農場主も仲間に入れてもらっている◆先日一年生のクラスで、「七度ぎつね」を読んだ。旅人が何気なく投げた石にあたって怒ったキツネが化けて仕返しをするという上方落語由来の紙芝居。農場主はいつもそんなネタばかりやるのだ◆読後、「キツネを見ても石など投げないほうがいいぞ」とやったら「大丈夫だよ、化かさないよ」。確かに、この辺のトウモロコシ畑で夏に見かけるキツネはみんな貧相でおびえている感じでとても化かしキツネの貫禄はない◆キツネやキジ、サルは日常的に見るし、時にはイノシシやクマだって見かける。クマのプーさんをはじめ絵本の動物たちとは随分違うけれど、本物を知っているのはいいことだ。 (第74号・12月10日)
村のお祭りの金魚すくいに挑戦した小一の娘が、ちびちび金魚をたくさん持って帰ってきた。父親も何十年ぶりかでやってみたら、見事十数匹をゲット、即リリースした。世は金魚ブーム(なのか?)◆さて百円玉と引き換えにやってきた十数匹の金魚ちゃんたち。水槽やらぶくぶくポンプやら準備に何千円もかかって家計には大打撃だ。カブト虫やら青虫やらがいなくなってほっとしたのも束の間、また娘の熱い視線を受けている◆まあ、命の意味を考えるためにも、ゆらゆら泳いでいる姿を見るのも悪くない。実際、ちびたちに追いまわされ疲れ果てて我が家にたどり着いた金魚ちゃんは一匹、また一匹と斃れていく◆かくして、「かぶちゃん」「くわちゃん」「いなごちゃん」に続き、我が家の庭には「こうすけ君」(なぜか)といった金魚の墓標が林立する。果樹や花も植えたいが、教育教育◆今が旬の秋刀魚も金魚ちゃんも同じお命。一つの命が終わっても、それはバトンに託されるものだ、と教えたい。万物皆枯るる冬を前にして。(第73号・11月7日)
汚染された米や乳製品、産地偽装された精肉…。食料の六割以上を海外にゆだねながらその一割を食べ残し、やれグルメだ、やれスーパーの安売りを狙った節約術だと騒いできたこの国の「食」の脆弱さが、ようやく浮き彫りになってきた◆食の脆弱さは消費者の弱さでもある。表示だけを信じ、アンテナを張ってその食品がどこで誰が作ったかということに意識が伸びない。そこに生産者側が乗じた。「手作り」と称した和菓子屋が堂々と中国から輸入したあんを使っていても誰も気付かない◆ニュースを見ていて思った。この夏早々に売りきれたアンナプルナ米の代わりに、その辺のスーパーで特売しているミニマムアクセス米混じり(?)の米を詰め替えてキロ六百円で売ったら、たちどころにウチのお客さんには見抜かれるだろうな、と◆生産者は消費者が育てるもの。ところが今は時代が狂っている。売る側も買う側も、、食の大切さを原点から考えなおす良い機会だ。きちんとした労働にきちんとした対価を支払う社会を実現するためにも。(第72号・10月1日)
福岡正信さんが亡くなった、という記事を新聞で見つけた。九十五歳。ずっと以前から仙人のような風貌だったので、過去の人か、生きていらしても百は軽く越していると思っていたので少々意外だった◆名著「わら一本の革命」を読んだのは学生時代だった。わらのマルチ以外、草は取らない、もちろん農薬も、そして堆肥や有機肥料すら施さない自然農法は神がかっているとも感じたが、大きな感動を覚えた◆その後ネパールにわたり、自給自足を基本とする山間地で日本のことを考えていた。そんな頃、WWFのプロジェクトで同僚だったオランダ人女性に「帰国したらどうするの」と尋ねられた◆「有機農業をやりたい」と話すと「レボルーションウィズストローは読んだか」と言われて驚いた。英訳を、彼女も熱心に読んでいたらしい◆必要なだけ作物を収穫し、残渣は畑の表土に還す。そんな理想的な農業から、汗まみれで草と闘う現在のやり方は程遠いけれど、ずっと憧れている。お会いしたことはないが、福岡さん、ありがとう。合掌。 (第71号・8月29日)
冬の間大活躍した我が家のペチカがいま、ミニ動物園の体をなしている。昨夏からいるクワガタムシに加えて、稲のプールで発生したオタマジャクシとキャベツの青虫が所狭しと並ぶ。管理するのは新小学生の長女だ◆引越しや入学など環境の変化でストレスのたまる中で、心のオアシスになっている様子。農場主も、青虫をひねりつぶしたくなる衝動を抑えてその成長をともに楽しんでいる◆しかし、青虫はある程度の大きさになると腹から寄生バチの幼虫が出て死んでしまう。さなぎからモンシロチョウになるのを見たいのだが◆あらためて畑の生態系がバランス良くなってきたのを感じる。農薬に弱い寄生バチなどが増え、青虫の大発生を抑えてくれる。今年は晩春に冷えこんだこともあってモンシロチョウが例年になく少ない◆有機農業をはじめて十年目となる今年。農薬や化学肥料、燃料の大幅値上げで大規模慣行農家の苦境が伝えられる。でも、そんなものに頼らないでも農業は生き残れることを、青虫たちは身をもって示してくれる。(第70号・7月14日)
裸電球に代表される、あの温かみのある白熱灯が消えようとしている。政府は地球温暖化対策の一環として、消費電力の多い白熱灯の生産を数年以内にすべて中止し、蛍光灯に切り換えるそうだ◆これにより、国内の全家庭からの二酸化炭素排出量を約一・三%削減できるという。欧米でも同様の動きが広まっているそうだ◆ちょっと待てと言いたい。それだけの効果なら、ほかにやるべきことはないのか? まず原発と軍事関連事業の見なおし、深夜の広告灯や無駄な照明をやめる、クルマ社会からの脱却を考える…◆そもそも蛍光灯に切り換えるといっても、充填されている水銀蒸気の環境への拡散はどう考えるのか。あちこちで割れまくっているうえ、回収といってもまだまだ埋めたてられているのが大半だ。微量ながら出る紫外線や、国内では規制のない電磁波の問題は?◆政府は価格の差ばかり気にしているようだが、消費者もそんなにバカではない。蛍光灯に補助金を付けて安く売られても、地球も消費者も、ぜんぜん嬉しくはない。(第69号・6月9日)
♪雪のふる夜はたのしいペチカ〜♪ 農場主の好きなこの歌の世界が、現実のものになった。北欧の石造りの家が本来の姿だが、木造住宅のど真ん中にレンガのそれが存在感たっぷりに構えているのもなかなかよい◆燃料は近くの森の間伐材。昨年集めて薪割りをしたものだ。家の建築端材もたっぷりと取ってあるので今のところゆったりと構えていられる◆年をとったら薪集めに苦労するかも、という懸念には目をつむるとして、これまで寒いアパートで一日石油ストーブと電気こたつをつけっ放しにしていたことを考えると、開放感がある。ちなみに我が家は風呂も薪で沸かすタイプ◆ちなみに、ここら辺の間伐材はほとんどカラマツなどの針葉樹だが、たまにクヌギやクリも出る。春になればキノコの種菌を打ちこみ、セットの品揃えを充実させたいーと夢が膨らむ◆里山を抱えた地域以外ではこんな生活は難しいのだろうが、荒れた日本の山を守るためにも、多くの人が、国内自給できる燃料や建築材の存在に目を向けてほしいと思う。(第68号・1月25日)
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稲刈の時期はさまざまな雑穀の収穫時期と重なり、農場は大忙しとなる。アマランサス、とんぶり(ほうき草)、タカキビ、ポップコーン、もちきび…。脱穀も稲と違ってほとんどが足踏み脱穀機による手作業だ◆雑穀を作っていて、つくづく稲の素晴らしさに気付く。たとえばアマランサス。栄養的には米より優れているのかもしれないが、穂が一度に成熟しないし、自然にばらばらと種が穂から零れ落ちる(脱粒)。◆タカキビはその点、穂の成熟は揃っているが、天日干しの途中で長雨に当たると確実に芽が出る。稲架で穂発芽なんて考えられないことだ。双方とも、一斉に稔って脱粒も穂発芽もしない稲を見習えと言いたくなる◆このあたりの育てやすさ、収量の多さが、先人達が主食を米に選んできた一因かも。近年まで雑穀が主食の位置にあった地域も、水さえひければ米を作っていただろう◆そんな苦労の多い雑穀栽培だが、それぞれの個性が楽しく、需要もあって続けている。畑の景色も多様で、豊かな気分にさせてくれる。(第67号・11月4日)
朝起きてから夜寝るまで家族以外ほとんど誰とも話をしないことが多い。特に作業がピークとなるこの夏はそうだった◆さて、農場主はこの春から、就農以来お世話になってきた県有機農業研究会の南信地区長というのを務めている。地区の会員七十人ほどに会報を送ったり、全県の役員と集まって会の運営を話し合ったりする仕事だ◆ほぼ同期に就農した前任者から頼まれ、そろそろそんな潮時かなと引きうけた。日頃ご近所付き合いくらいしか人と出会わない農場主には良い刺激になる◆二十人弱いる役員は、顔をやっと覚えた程度の人もいるが、話をしてみるとほとんどが友人の友人だったり、何らかのつながりがある人ばかりなのに驚いた。「類は友を呼ぶ」ということか◆思えばセット宅配のお客さんも口コミでだんだん増えてきた。最初はネットでの出会いだったけれど実際に畑を見に来られてお友達になったり。はた目には孤独な作業をしている農場主も、多くの人とつながっているおかげで現在があることを、しみじみと感じている秋だ。 (第66号・9月28日)
はい、こんにちは。ゆうまです。すこっぷのおもちゃがすきです。「ちょいとへんてこ」をおねえちゃんといっしょにおどるのがたのしいです◆うまれたときからまんまるめんめで、くりくりヘアーがめだっていました。かみはきったけど、まえがみはまだくるくるしているので、おねえちゃんがときどき、ちびまるこちゃんのはなわくんにしてくれます◆うまれてから、とびひやとっぱつせいほっしんのほかはおおきなびょうきもせず、げんきです。あたまがでかいといわれますが、とうさんとかあさんもでかいです◆ごかげつでねがえり、きゅうかげつでひとりだち、じゅういちかげつであるけるようになりました。とくぎ?いろいろあります。「ばいばい」でしょ、いないいないばあ、そしてぱちぱちしながらあるくこと、「はあい」、あさしょうりゅうのかおも◆おおきくなったら、はこをじぶんであけられるようになりたいです。こっぷでじゅーすをのみたいです。えーと、あたらしいおうちでいっぱいらくがきもしたいです(こらっ!) (特別号・9月26日)
「有機工業運動」というのをご存知だろうか。発明家の藤村靖之さんらが提唱している、「非電化製品」の産直のこと。たとえば電気を使わない冷蔵庫や除湿機を希望者を募り、製品化する◆水の対流や夜間の放射冷却現象を利用した非電化冷蔵庫。電気のないモンゴルの地方でも活躍しているそうだが、国内では三千人集まれば三万円で販売できるという。藤村さんの「非電化工房」では掃除機や浄水機なども扱う◆酷暑で電力供給危機が叫ばれ、新潟の地震では原発のもろさがあらためて露呈した◆原発といえば、日本中からクーラーがなくなれば三基、電気ポットがなくなれば二・五基が不用になるそうだ。地震で簡単に放射能漏れを起こし、六ヶ所村で核のゴミ捨て場が建設されようとしている今、負の遺産を子どもたちに残さない働きかけが必要だ◆農場主はこの夏、冷蔵庫の恩恵は随分受けた。電化生活は否定しない。でも、楽しみながら非電化を選択肢にいれることもひとつの意思表示だということを、この運動は教えてくれる。 (第65号・8月24日)
春の葉物野菜、特にキャベツや白菜、ブロッコリーは毎年、たくさんの青虫の食害に遭う。代表的なのはモンシロチョウとコナガ、そしてヨトウガ。昨年よりはましだったが、葉の陰に隠れて何匹かは皆さんの元に届いてしまったのではないだろうか◆付き合っていると、それぞれの個性が見えてくる。モンシロチョウはとにかく目立つ。畑でひらひら飛んでいるし、幼虫はカンカン照りの中でも葉の表でじっとしていて見つけやすい。寄生バチに攻撃されやすく、ネットをかけると防除もしやすい◆コナガは暑い時期の苗作りを著しく妨害する。小さくてネットの隙間から簡単に入りこみ、幼虫は葉の表にはまず出てこない。成長点にある新葉から食べてしまう◆一番卑怯(?)なのはヨトウガだ。昼間は地中に潜み、夜に出てきて大量に葉を食べる。前の二種とは違い、結球野菜ではどんどん中に入りこむので、外葉をむしったくらいでは売り物にならない◆そんな虫たちの大活躍も秋風が吹くころまで。もう少し一緒に頑張ろう、キャベツ君。(第64号・7月9日)
「バイオエタノール」という言葉を耳にすることが多くなってきた。サトウキビやトウモロコシなどを原料にした燃料で、ガソリンに混ぜて使う◆「環境に優しい」などと触れこみ、国内でも販売が始まった。化石燃料の消費を抑え、循環型のエネルギー資源として期待される◆ただ、現状は手放しでは喜べない。国策としている米国やブラジルでは、食料生産を抑えて燃料に回したり、アマゾンの熱帯雨林を開発したり。世界の食料需給バランスが崩れ、ふたたび南北格差が広がろうとしている。報道されていないが、こうした作物はおそらく遺伝子組み替えだろう◆いっぽう農場主はこの春から、トラクターでバイオディーゼル燃料(BDF)というのを使い始めた。こちらは地域のNPOが天ぷら油などの廃食油を回収し、精製したもので軽油と混ぜて使う。エンジンが掛かりにくいが、排煙は天ぷらの匂いだ◆問題は多いが、植物由来の燃料には期待したい。必要最小限の消費を心がけることが大切、ということは言うまでもないのだが。(第63号・5月31日)
年末に「有機農業推進法」が臨時国会で可決、施行された◆今国会は、防衛庁の省昇格やら教育基本法の改悪など、アベシンゾー(きっこの日記風)が化けの皮がはがれないうちに決めるものは決めちゃおうというドタバタぶりにあきれ返ったが、この法律だけは光っている◆これまで農業政策といえば、実現しない大規模化と近視眼的な効率化ばかり唱え、税金は土建屋など他産業に流し、食料自給率をどんどん下げてきただけと言って良い。その政府が、初めて有機農業の重要性を法律に記すに至ったのだから◆具体的な内容はこれからだ。消費者にとっては安全な野菜を確実に、適正な価格で入手できるシステム作りー具体的には現在の「認証」や「表示」のあり方を見なおすことが必要だし、農家側にとっては環境保全への評価もしてほしいところだ◆日本同様の島国、キューバは有機農業で疲弊した国を建てなおしている。「美しい国」は、押し付けの愛国心や軍事力ではつくれない。有機農業が盛んになれば、自然にそうなると思うのだが。(第62号・1月12日)
◆2006年◆
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年の瀬、喪中のはがきがたくさん届く。農場主の周りでも今年は長男という新しい命の誕生を喜んだ半面、「かなしいおしらせ」も相次いだ◆七月、新聞記者時代の元上司。釣りが好きで、ずっと言っていた「将来は上越で釣り三昧」を実現し、農場主と野菜と魚の交換をしたりしていたが、ガンに倒れた◆十一月の灰谷健次郎さんもショックだった。子どもを題材にした数々の作品に昔から触れ、知人が親しくしていることもあっていつかお会いできるのを楽しみにしていた◆「かなしいおしらせ」とは五歳の長女が大切に育てていたかぶと虫が夏の終わりに死んだ時の言葉だ。「かぶとむしがしんじゃった」と十五分は泣きつづけた。メスだったこと、当時母親が切迫早産で入院中ということも手伝って耐えられない悲しみだったようだ◆イラクやアフガンで命を落としていく兵士、その数百倍の無辜の市民。いじめで死んでいく子どもたち。命の重みを、あらためてかみしめたい。そう、野菜たちもみんな大切ないのち。重みや質は違っても。(第61号・12月8日)
「さむかったでしょう。ご苦労様」。冬のバイトから帰った父親をこんな一言で驚かせた。「かさじぞう」の台詞でしたか。以下、この一年の真和語録◆「なんでみつかっちゃったの?」。知人が骨髄移植のドナーが見つかったという話に割り込んで。「ご飯のしたくしてていい?」母親が入院時、朝の収穫に出かけた父の携帯を呼び出して一言。帰ったら本当に机におかずが並んでいた◆「かぶと虫が死んじゃった」。健ちゃんにもらったメスが死んだ時、十五分間は泣きつづけた。オスの時はけろっとしていたが。「十月の誕生日、誰か知ってる?」「知らんなあ」「よくあたまで考えなさい!おくばまでかみしめて!」◆「きょうからよにんかぞくだねえ」。母親と弟が助産院から帰ってきてしみじみ。秋の夕暮れ、保育園の帰りに「おひさま、山にかくれちゃったね。山はあったかいかな」◆この二十三日に亡くなった灰谷健次郎さんの子どもの詩を思い出した。精いっぱいの言葉のかずかず。真摯に受け止めることで、親も育てられていく。合掌。(特別号・11月28日)
秋も終わりになると毎年のことだが、手の荒れに悩まされる。特によく使う右手の人差指と中指は指紋に沿ってひびが入り、ひどいと出血する。土を掘る作業が多く、乾燥が追い討ちをかける◆最近、馬油(マーユあるいはバーユ)というのを愛用している。そんじょそこらのハンドクリームよりずっと体に優しい感じがする。そういえばうーゆというのもあるらしい。こちらは兎の油◆市販されているハンドクリームの主成分はグリセリン。石油からも作られるアルコールの仲間だが、おそらく植物性のものが多いのだろう。昔は鉱物由来のワセリンもよく使われていた◆対して馬や兎という動物の油をそのまま塗るというのはなかなかワイルドだが、やっぱりなじみやすいのだろうか。そういえば農場主が昔暮らしたネパールの山村でも、ひなたぼっこさせた赤ちゃんのお尻や背中にバターをべたべたぬりまくっていた◆さてそんな動物たちの命にも感謝しつつ、少し獣臭くなったアカギレの手でもう少し、じゃが芋掘りを頑張ろうか。(第60号・11月13日)
「髪の毛が見えてきたよ。赤ちゃんが『生まれるよ』って頑張ってるよ」。早朝四時に起こされ、眠い目をこすりながら農場から車で十分ほどの助産院へ。これまで見たことがない、母親の苦しむ姿に驚きつつ、長女も頑張った。「お姉ちゃんだからね」◆五年前のお産と同じような経緯をたどった。立ち仕事(教員)ゆえの無理から切迫早産と診断された妻は五月から自宅でほぼ寝たきりに。八月には絶対安静を求められて入院も経験した◆大好きな母親といっぱい遊べない。足しげく通ってくれた義母にもそう頼れない。代わりに登場したのが不肖父親である。保育園が休みになる土、日曜は公園やプールによく出かけた◆でも、その程度。妻の入院中は、朝、寝ている娘をひとり置いて畑へ行ってしまう。キュウリ畑で、ケータイが鳴る。「ビデオが見れないんだけど」。そう、携帯電話とビデオにはお世話になった◆弟ができた今、うれしいけれどやっぱり母親はあまり遊んでくれない。父親も畑に出たまんま。ま、冬になったら、いっぱい遊ぼうね。(第59号・10月9日)
お盆が過ぎると、朝夕の涼しさとともに、畑の雑草たちの顔ぶれが変わってきたことに気がつく。◆春の雑草で代表的なのはハコベやヨモギ、スギナなど。その多くは多年草で、根が深い。特に春に耕せない冬ごしの玉ねぎやにんにくの畑では根が深く、草取りに難儀するものだ◆夏になるとアカザやオオブタクサ、オヒシバ、カナムグラなど一年草が跋扈する。ほっておけば二メートルを越えたり、蔓を伸ばして畑じゅう覆うものなどして作物に致命傷を与えるものが多いが、早めに除去すれば根は浅く、簡単にぬける◆秋になって目立ってくるのはスベリヒユだ。種が強く、人参畑で太陽熱を利用して雑草の種を殺す工夫をしても、人参より一足早く生えてくる。夏の少雨で雑草たちも参っているなか、砂漠の植物のような多肉質の茎が乾燥から守ってくれるのか、畑では一人勝ちという感じだ◆そんな雑草との闘いもあとわずか。虫の害も減ってくる。九月こそは適度な気温と雨で、静かな、そして豊かな稔りの秋を迎えさせてほしいものだ。(第58号・9月4日)
うなぎ、モロヘイヤ、納豆。夏を代表する(?)これらの食べ物に共通する物質がある。それは「ムチン」。たんぱく質と多糖類が結合した粘性物質で、胃壁をはじめヒトの体内の粘膜を構成する主物質でもある◆葉物野菜が少なくなる夏場、モロヘイヤのほか、オクラやツルムラサキ、オカノリといった、ムチンを多く含む「ネバネバ野菜」が食卓によく上るようになる。こうした野菜のおひたしは、そうめんなど冷たい麺類にもよく合う◆日本は、世界でもこのムチンの摂取量が多いそうだ。とりわけ長寿県として知られる沖縄の料理には昆布をはじめ、ネバネバ系がたくさん登場する◆こう書くと、いかにも「ネバネバが長寿に効く」「健康に良い」といった三文広告のようだが、大切なのはバランスのとれた食生活ということはあらためて言うまでもない◆でも、夏くらいはこの粘りを楽しみたい。モロヘイヤと納豆と生卵を一緒にして箸でぐちゃぐちゃとかき混ぜ、醤油をさらっとかけてあつあつご飯に。あ、ねばねばが嫌いな方、ごめんなさい。(第57号・8月2日)
前号で「白いんげん騒動」について書いたところ、たくさんの方から反響をいただいた。「テレビの影響ってすごいんですね」◆メディアから洪水のように溢れてくる情報を鵜呑みにしていたら、生の豆で下痢をする程度で済めば良いが、体がいくつあっても足らない。メディアリテラシーというか、情報を送り出す側の論理を読み取る能力が今ほど求められている時代はない◆イラク戦争で女性兵士の救出劇が喧伝されていたとき、長野県の地方紙に、これを手放しで称えるコラムが載った。まさに恥の上塗り。戦争報道の怖さは、情報操作の連鎖にあると思い、抗議したことがある◆最近、電磁波被害の恐れがある携帯電話のアンテナ鉄塔建設の反対運動に取り組んでいる人が、「マスコミが取材にきたり、少しでも記事を書いてくれれば反応が違う」と話していた。まだこの問題の認知度は低いのだ◆書き飛ばすか、まったく書かないか、その違いは何なのか。流れてきた情報を疑い、流れてこない裏側の真実に想像の翼を広げよう。(第56号・7月3日)
家を作りたいー。その長年の夢がもうじき実現する。見た目にはまだただの麦畑だが、その収穫が終わるといよいよ工事が始められそうな状況になってきた◆思えば長い間、多くの人とのつながりがあってここまで来られた。畑を買うことができたのは、協力隊ネパールOBを介して以前から知り合いだった地域の有力者(有名人)が熱心に探してくれたおかげ。畑を住宅にするには煩雑な手続きがいるが、「農振農用地区域除外申請」では農業委員会、「分筆、登記」では法務局や土地改良区、土地家屋調査士の方に世話になった◆とりわけ測量には手間取った。測量士補の資格を取ったのは遠い昔、学生時代のこと。本を借りて再勉強し、詳しい仲間に手伝ってもらった◆地域の木を使った家を建てたいとの思いを、設計士のTさんと共有できたことも大きい。先日は家族で森に丸太柱などを切りに出かけた。皮をむくと瑞々しい材が顔を出す。そう、この木の命を頂くことも忘れてはいけない。さまざまな感謝を込めた家作りになりそうだ。(第55号・5月22日)
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先日、知り合いのお医者様に寿司屋のカウンターでご馳走になった。ナントカの白子だの、ヒラメの腹側と背側の刺身の食べ比べだの、どこそこの銘酒だのよく覚えていないが、ああうまかった。ご馳走さまでした◆地元紙の長者番付の常連でもある彼が「齋藤さんはうらやましい」と嘆息する。思わず「え?」と聞き返す。「こういうのね、僕はだんだんうまいと思えなくなってきたんですよ」◆忙しい人ではあるが、金に困ることはない。好きな物を好きなだけ食べられる。聞いたこともないようなものを、満面の笑みでウヒョウヒョと口にする農場主が新鮮に見えたのか◆はっと気付いた。農場主は毎日、自分や妻が作る野菜中心の食事がおいしくてたまらないことに。そこで「本当においしいのはね、先生、自分で種をまいて自分で草を取り、自分で稲刈りした新米の味ですよ」と言った◆医という分野は医食同源という言葉があるように、食に劣らないくらい人間生活に大切なもの。お医者さんも、一緒に田んぼや畑を耕しませんか?(第54号・12月14日)
「おそーい」。秋の日が暮れ、真っ暗になった保育園に駆け込むと延長保育の部屋から飛びついてくる。しばらく抱きしめ、家に帰った後はご飯、風呂、歯磨き、就寝ーとあわただしく時間が過ぎていく◆平日は一緒に過ごす時間が本当に少なくなった。以前は一日中母親にべったりだったことを考えると、この一年は真和にとって激変だったろう。以下、保育園の連絡帳から真和語録を◆「泣かないよ。先生、困るから」。保育園に通い初めて数日後。夜中は大泣きでつらかった。節分の前日、「明日は鬼がくるからお迎えは早くに」その日保育園で大泣きして帰り、「鬼さん、おうちにも来る?」◆「うさぎさん、中にはお姉さんが入っているんだよ」。かぶりものが怖いので自分に言い聞かせる。気に入らないことがあると「お母さんの意地悪。もうあそんであげない」◆田んぼでイナゴを捕りながら「カエルもぱえられるかなあ」。ドーナツに白い砂糖がまぶしてあるのを見て「甘いお塩だねえ」。うん、うちの砂糖は茶色いからねえ(特別号・11月28日)
畑仕事が一 段落したので、半年近くの間休団していた市民オーケストラの練習に出かけることにした。夏の間しまったきりだったビオラのケースを空けたとたん「え?」と目が点に◆弓の毛(馬の尻尾)がぶちぶちに切れている。他方、時々練習に出かけていた妻のバイオリンケースに入っている私の予備の弓は何ともない◆両方とも毛は緩めてあり、使わない期間やふだんの保管場所は同じ。なぜだろう。団員仲間の意見で一番説得力があるのが「暗いところが好きな微生物がかじった」という説。夏の間一度も蓋を開けなかったケースはササラダニなどの格好の棲家だという◆学生時代に使った「ツルグレン装置」を思い出した。下にふるいがついた筒の中に落ち葉や土を入れ、上から電球を照らすと、土壌動物(微生物)が下から落ちてくるーというもの。彼らが明るく乾いた所から逃げ出そうとする性質を利用している◆大切な楽器が微生物の棲家になってはたまらない。練習しないにしても時には蓋を開けて顔を見てやろうーそう思った
(第53号・11月14日)
稲刈りは楽しい。バインダー(結束機)でざくざくと金色の穂の海を進んでいくと、美しい結晶のような稲穂が地面に横たわっていく。イナゴやカエルがぴょんぴょん飛び出すのに気を取られながらも、子ども達がそれを一緒に運び、母親がはざに掛けていく◆この楽しさは何だろう。一年の苦労が報われる収穫の喜び、たくさんの生物と共に生かされていることへの感謝、共同作業を通じての連帯感、そして家族の絆の実感・・・◆捕まえたイナゴを熱湯に放り込み、砂糖醤油で炒めて娘と食べた。命を頂く実感が少しでも持てるかな。手を合わせて「なむなむ」◆泣いたりするかと思いきや「脚が固いね」。「カエルは食べられないかな」。いや、お父さんは学生時代、山でスープにして食べたことがあるーとも言えず、あわてて否定◆考えてみると稲は長い間、日本人とともに生きてきた。農場主も創業以来自家採種を続けている。この命の連続性をへんてこな遺伝子組換えなどで壊してほしくない。稲刈りをこれからもずっと楽しみたいから。(第52号・10月10日)
「遺伝子組換えってなんであんなに騒ぐんや」。父と飲んでいたらそんなことを言いだした。除草剤耐性を持つGM大豆を食べたヒトの腸内細菌が除草剤耐性を持つようになったーとの例を挙げて「それが気持ち悪くないんなら食べたらええやん」とだけ答えた◆父は物理学者。科学的なはっきりした結論を求めたがる傾向にある。命に関わる明確な危険性が示されなければ結局無関心になる。多くの消費者の認識はそんなものかもしれない◆結果、身の回りにGM食品や作物はどんどん増えてきた。今年七月には長野県内でもGMナタネの自生が判明。輸入ナタネの種が輸送中にこぼれたとみられ、アブラナ科他種との交雑が心配される◆隣の新潟県ではGMコメの収穫が間近になっている(現在係争中)。米国の圧力もあって、GM作物の栽培や食品の浸透は想像を超える勢いだ◆これで良いのだろうか。「戦争、貧困、差別…。すべてに共通する原因である悪とは、無関心である」。ノーベル賞作家E・ヴィーゼル氏の言葉を重く受け止めたい。(第51号・9月21日)
三歳になる我が娘を新潟の海に連れていった。二年前、甲子園に行くときにちょっと須磨の海で遊んで以来だが本格的に泳ぐのは初めて。それでも浮き輪で上手にばた足をするので驚いた◆翌朝、早く目覚めたので、静かな浜辺に出た。寄せては返す波を眺めていると、信州の山の中で暮らしているとつい忘れがちになる海の一種独特の懐かしさを思い出した◆ヒトの血液中の塩分濃度が海水と同じことや、初期段階の胎児が魚のようであることなど、海との親和性はあらためて言うまでもない。畑もカキ殻やグアノ(海鳥の糞化石)などさまざまな恩恵に浴している◆海と直接つながっていることを感じるのは田んぼだ。諏訪湖のあまりきれいとは言えない水が田んぼを通ることで窒素や燐分が稲に固定され、きれいになって天竜川を経て太平洋に注ぐ。川の浄化作用の一翼を少しは担っている◆除草剤など薬物を使う水田では浄化しているのか汚染しているのか分からない。安心して子どもが泳げる海を守るのは私たち親の世代の責任なのだが。(第50号・8月8日)
田んぼに這いつくばって草を取っていると、素敵な世界が見えてくる。アメンボやトンボ、カエルなどは言うに及ばず、農場主が少年時代に心躍らせたタイコウチやミズカマキリなど゙捕食性武闘派≠フ水棲昆虫が、そこで生き生きと暮らしている◆卵を背中にしょったコオイムシやガムシ、ハシリグモなどもよく目に付くし、時にはシマヘビが畔を走り抜けたり、かわいいアマサギが飛んで来たりもする◆こうした生き物たちはみな、水田といういわば人工の生態系に適応して人間とともに暮らしてきた。しかし休耕田の増加や除草剤材の大量散布、溜め池の減少や圃場整備などで生き物たちが暮らしにくい環境になり、先に挙げた中でも絶滅危惧種に指定されているものがあるほどだ◆「自然を作る」などとおこがましいことは言わないけれど、結果として伝統的な稲作がこうした生き物を含めたニッポンの原風景を育んできたと思う◆久しぶりにはだしになって童心に戻り、農場主と一緒に草取りをしながら虫たちと話でもしませんか?(第49号・6月29日)
最近、有機農業を巡るさまざまな言説を耳にする。認証制度の定着で有機野菜を目にする機会が増えたためだろう。しかし、看過できないような誤認、偏見も目に付く◆信濃毎日新聞四月四日付科学面掲載の「無農薬に多いアレルゲン」の記事。京大チームの研究により、無農薬栽培で黒星病などが出たリンゴにアレルギーの原因物質(アレルゲン)が多く含まれていたため、「無農薬だから必ずしも安全とはいえない」と結論づけていた◆実験結果から結論に論理の飛躍がある。植物がアレルゲンを作り出す原因のひとつが病虫害にあるというのは周知の事実だが、「無農薬だから」危険なのだろうか◆商品にならないようなひどい病気リンゴからアレルゲンが出たといって、そんなリンゴを誰が食べるというのか。肥料の過剰投与を避け、健康に育てた作物は病虫害も少なくなる◆無農薬=虫食い、病気ーという思い込みがこの研究者、そして新聞記者にはあったのだろう。賢い読者なら読み取れるが、うっかり鵜呑みにする人もいそうで怖い。(第48号・5月7日)
◆2004年◆
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この一年を表す一文字は「災」だそうだ。農場でも入梅した途端のカラカラ天気で、いつまでも続く真夏日で畑は草も生えない状態に。それが秋になると一変して長雨で、病気が続発した。何度も台風が襲来し、雑穀が倒れ、ハウスや機械小屋の屋根が吹っ飛んだ◆浅間山の噴火や中越地震、そして東南アジアでは史上最悪の大地震と津波、ヨーロッパでは記録的な冷夏だったという◆その一方、政治家たちは相も変わらず戦争という名の人災を引き起こすのに余念がない。多くのマスコミもイラクでの米軍への反撃を米側の発表通り「テロ」と伝えるなど批判精神のかけらもない。イラクの市井の人々にとって望まぬ戦乱は災いそのものだ◆野にある人が正しい情報を共有し、災いには知恵で対抗しなければ。八枚ある畑も、それぞれの性格が微妙に異なっている。作柄にあった土作りをし、異常気象に負けない経営をしたい◆来る年。縁あってつながりができた方と力を合わせ、住みよい世の中にしたい。平和な一年になりますように。(第47号・12月29日)
各地で大きな被害をもたらした台風18号は我が農場でも育苗ハウスの屋根をきれいに吹き飛ばしてくれた。ちょうど替え時だったし、高価なパイプの骨組みはそのまま残った。不幸中の幸いだ◆早速ポリシートを購入して、ハウスの屋根によじ登った。重いシートを引きずって高さ三メートルほどの骨組みの上を歩くのは怖い。ずっと以前、佐賀県にある施設栽培のホウレンソウ農家で研修したときのことを思い出した◆農業大学校の先輩はジャングルジムのようなハウスに地下足袋姿でひょいひょいと登り、走るように屋根をどんどん張っていた。猿のようなその姿に、「農家ってすごい」と感心したものだ◆あれからサラリーマン生活を経て十数年。少しは農家らしくなったのかー。答えは「否」である。ちょっとした風で「ひやあ」と四つんばいでパイプにしがみつき、下校中の小学生にくすくす笑われる。風ですぐ凧のように空に舞い上がろうとするシートを必死の形相で押さえ込む農場主◆「顔がすごい」とだけは思われたかもしれない。 (第46号・10月20日)
「播かぬ種は生える。播いた種は生えない」。有機農業をやっていると、この逆説的箴言が身にしみる。カラカラ天気で白菜が全然芽を出さないのに、エノコログサやスベリヒユなどはわしわしと生えてくる◆雑草というのはあきれるほどたくましいものだ。野菜のほとんどが生長点の所で折れただけで枯れてしまうのを尻目に、抜いた雑草がふたたび息を吹き返す◆そんな中、雑草並みの底力を見せてくれるのが、種取りをした後に出てくるこぼれ種だ。雑草が目に付いた先述の白菜畑は最近、冬菜とうぐいす菜の畑に変わりつつある。いずれも今年の春に種を取った場所。時期になると一斉に芽を出してくるというわけだ◆育種の専門家から聞いた話だと、強い種を取る一番いい方法は、肥料分の少ないやせた畑で実を付けたものから種を自分でこぼれさせ、苗を間引かずに競争させ、残った株から種を取るーというものだそうだ◆自然の摂理に即した採種法。そのノウハウに、栽培方法にも応用できる多くのヒントが詰まっているような気がする。(第45号・9月6日)
仲間と出荷している近所のスーパーから「無農薬の表示はまずいそうだから替えてください」と言われた。調べたら、農水省のガイドラインがまた変更になったという◆「有機」の文字が店頭から消えたのが四年前。当農場のように手間のかかるJAS認証を取得していない農産物は「有機」と表示ができなくなり、「無農薬無化学肥料栽培」と表示していた◆今度はそれもだめで「特別栽培」らしい。なんでも減農薬、減化学肥料の基準があいまいだから、無農薬とひとくくりにするとか◆減農薬とは、「その土地の慣行の五割以上農薬の使用を減らしたもの」。つまり、農薬メーカーが牛耳る農協などが配っている防除暦の半量は使って良い。また、この「土地の慣行」がくせ者で、暖かい地方では当然農薬使用が増え、寒いと少ない。場合によっては九州の「減農薬」より北海道の「慣行」の方がずっと安全と言うこともあり得る◆消費者の知る権利が脅かされている。言葉の遊びではなく、農薬使用にこそしっかりした表示を求めたい。(第44号・8月4日)
「花火かなあ」。二歳半になり、毎日しゃべりまくっている娘が心配そうに尋ねる。早朝から、近所の牧草畑で「パーン」という破裂音が響くようになった◆娘は昨年夏以来の花火嫌い。あの腹の底に響くような音と美しい炎色反応が苦手なのだろう。「あれはね、鳥おどしといって、播いたとうもろこしを鳥さんに食べられないようにしているんだよ」◆こんな風に笑って暮らせるのは日本の、それも田舎暮らしのおかげだ。都会ではテロが心配だし、イラクやパレスチナはもとより、世界では発砲音に怯えない方がおかしいーという所が多い◆なぜこんな風になってしまったのか。一つには想像力の欠如があると思う。日米英の首相ら三バカを筆頭に、弱い立場の人の痛みを分かち合うことができなくなっているのは悲しい◆以前本欄で紹介したジャーナリスト安田純平君がイラクで一時拘束された。犯人グループは外国の軍隊撤退を求める一般市民に支えられていたようだ。銃声の響かない平穏な暮らしを求める声に、いまこそ耳を傾けたい。 (第43号・6月28日)
「田中康夫をどう思う?」紫煙をくゆらし、ソファにどっかと座って足を組んだ男は単刀直入に聞いてきた。白髪頭で赤ら顔。なんだかマフィア風だ◆「政策や分野によって一概には言えませんが、割と好きですね」。ちょっと考えて答えてから、しまった!と思った。ここは土建屋の応接室。バイトの社長面談にはこんな踏み絵≠烽るのだ◆「脱ダム」や公共事業削減を打ち出し、土建業界に評判の悪い長野県知事。案の定、社長は不機嫌そうに「あいつはダメだね」。なんでも仕事ががた減りらしい。そうはいっても冬場は稼ぎ時だからバイトもあるのだが◆その後の伊那市長選、松本市長選などでは露骨な現職支援を求められた。公共工事だけで食っているような会社は、権力とうまく迎合しないとやっていけないのだろう◆そんな半面、現場の土方のおっちゃんたち(中には七十九歳とかいう爺さんも!)のプロ意識は気持ちいい。昼休みも弁当を食いながら鉄筋組みのやり方で議論が始まるなど、なにせ熱いのだ。来冬もよろしくね。 (第42号・4月21日)
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はい、まな。こんばんわ。にしゃい。おっきいケーキあん(が)と。おかやのばあばとお、あかしのばあばとお、とうしゃんのにいにとお、てっちゃんとまみちゃんとお、じいじとお、ひいばあばとお・・・・◆最近、しゃべり出すと止まらなくなってきたの。お父さんが相手をしてくれなくても、わんわん(のおもちゃ)やてっちゃん(羊のぬいぐるみ)とおしゃべりするからいいの。そういうときにお父さんが顔を出しても、カーテンを引いて「バイバイ」◆この一年、われながら人間的に成長したと思う。ご飯の支度や出荷などの作業を手伝えるようになったし、「ごめんね」と「あんと」が言えるようにもなった◆えっ、言う場所を間違えてるって? 変ねえ。お月さまが出てきたら「ごめんね」じゃないの? あ、それは絵本の世界だけなの。ごめんね◆そろそろねむねむ。かあしゃん、いっしょねんね。あ、とうしゃんバイバイ、バイバイ! とうしゃんあっちねんね。まなとかあしゃんこっちねんね・・・。とうしゃん、お茶。ごめんね。(特別号・11月28日)
突然、アンナプルナ農場に大型バスが乗り付けた。近所でリンゴの収穫をしていたじいさんたちはびっくり。学生たちがぞろぞろと降り、自家採種予定の巨大ナスに歓声をあげたり、熱心に質問を浴びせたり◆農場主の母校、八ヶ岳の農業大学校の後輩たち四十人。秋の農業「先進地」(?)見学ツアーだそうだ。かつて肥料袋を抱えて畑を走り回っていたころを思い出したが、今でもその伝統は残っているとか。同じ志を抱く若者と話すのは楽しかった◆その前に見学したのが、完全な無菌室を作って水耕栽培するトマトの工場だと聞いて笑えた。無菌状態なので当然無農薬。それで高値で売り物になるらしい。国策に合致し、何億もする施設の半分は国の補助金=われわれの税金=という◆一方、補助金ゼロのこちらは菌だらけ。雨が続けば畑のそこここでキノコが顔を出す。菌や「ただの虫」(宇根豊)などが複雑、いや有機的に絡み合っている。同じ無農薬栽培でも天と地ほどの差がある実態を、若者たちはどうとらえたのだろうか。(41号・11月26日)
Sが死んだー。大学時代の友人。当時農場主はアカデミックな雰囲気が漂う農学部の林学科に所属しながら、林学三バカの一人として卒業後は畑違いの道へ進んだ。一方、寡黙でこつこつタイプの彼はそのまま研究職を選ぶ◆白血病だった。強い副作用の薬を服用しながら病床で最後の論文を書き、「掲載誌は見られないだろうな」とつぶやいていたそうだ。最近南米から帰国した三バカの一人、Pに聞いて初めて知った。壮絶な死から、もう一年になるという◆農場主と同じ昭和四十年生まれ。若すぎる。一歳の娘や五歳下の連れ合いと暮らしているせいか、農場主は自分が若いと感じることが少ない。でも彼を失ってみると、こんな年で命を奪われちゃかなわんと思う◆春に播いた種が成長して、秋にはたくさんの種に命が引き継がれていく。あるベテラン俳優が「いまは赤秋≠セね」とインタビューに答えていたのを思い出した。「青春」に対する造語だが、真っ赤に色づく充実した人生のゴールのことを、この秋はしみじみと考えさせられる。 (40号・10月24日)
じわじわと、実感がこみあげてくる。すこしの恥じらいと、心からの誇り。阪神タイガース、久々のリーグ優勝である◆告白する。農場主はそれほど熱心なファンではない。今月初め甲子園に家族で出かけはしたが、低迷していた時期は新聞も見なかった。小さい頃、阪神ファンの兄への対抗意識から、一時期、当時強かった阪急(現オリックス)に浮気≠オていたことすらある◆それが学生時代、生まれて初めて優勝した阪神の姿に涙した。北海道での演習林実習の時である。関西人の血を自覚した◆その少し前、実家(兵庫県明石市)周辺の風景は一変していた。小学生のころよく虫取りをした田んぼやため池は埋め立てられて無機質な住宅団地に。そんなふるさとが嫌で、逃げるように北海道へ渡っていた◆失われた風景を優しく補ってくれるふるさとの匂いと、権威への反骨心。自分にとってタイガースはそんな存在だと気付いた。あれから十八年。いまは新しいふるさと≠ナその風景を守る立場となった。人生、おもろいもんや。 (39号・9月26日)
近所のスーパーに共同出荷している有機百姓仲間から「斎藤さんはなんであんなにインゲンを何種類も作っているのか」と聞かれた。確かにモロッコ、穂高、アルプス、島村、そして長ささげと五種類もあると収穫は手間だ◆答えは「自家採種だから」。自分で良さそうな株を選んで種を採り、播いて育てるため、変な交雑をした場合、収穫までこぎ着けない可能性がある。リスクを分散するため、どうしてもいろんな種類を栽培してしまうわけだ◆現在、当農場では米と豆、雑穀のすべて、インゲンやトマトなど果菜類の大半、菜っぱ類と漬け菜、人参、長芋の一部を自家採種している◆理由は? 遺伝子組み替えにご執心の米国種子メジャーから農民の手に種を取り戻すこと、無農薬を標榜する以上消毒種子は使いたくないこと、土地にあった品種を作り出せることーいろいろある◆でも一番は「楽しいから」。種から育ち、次代にいのちを引き継ぐ植物の一生の姿を見られる。間もなく始まる実りの秋は「収穫」から「採種」へと深まっていく。(38号・8月27日)
その電話の主は泣いているようだった。「なんだか不安で、分からなくなったんだ」。要領を得ない話しぶりだったが、当通信愛読者で、阪神タイガースファンということはつかめた◆「ニュースで阪神が勝った勝ったと騒いでいるけど、大本営発表のように情報操作されているのでは。本当はいつものように負け続けているんだ」。戦前生まれだという男は嗚咽しながら話し続ける◆「万が一、勝っているとしても、『通信』で書いていたようにその裏で何が行われているか考えないと。投手陣がぼこぼこに打たれて涙目のハラ監督にも帰りを待つ家族がいることだろう。その心情を察するとかわいそうでしょうがない」◆こう答えた。「阪神はこれまでずっとキョジンに負け続けて、同じ思いをしてきた。巨神戦といっても戦争ではなく正当防衛。借りを返すべく、こてんぱんにやっつければよろしい」◆というわけで農場主一家は9月5日、優勝を確認すべく甲子園に乗り込む。巨人ファンにはごめんなさい。※電話の話はフィクションです。 (37号・8月1日)
教えておくれ/新聞にでてた/あのちょっとしたNEWSの/意味が知りたいー。十年ほど前、忌野清志郎が歌っていた歌の一節である。最近、この歌詞を再びかみしめている◆言わずもがなのイラク戦争のこと。戦前は開戦に批判的だった新聞も、バグダッド陥落後は「勝てば官軍」で戦後復興≠ホかり。国際法違反のブッシュの責任追及はどこへ行ったのか◆そんな中、気鋭のフリージャーナリスト安田純平君のイラク報告を聞いた。農場主の地方紙記者時代の元同僚。日本のマスコミがすべて撤退する中、戦場にとどまって取材を続けた男◆「新聞は戦況ばかり。現場で普通の人々の暮らしに何が起きているかが大切なのに」。米軍に殺された普通の市民の悲しみや、「血と膿と消毒薬の混じった」病院の独特の異臭などは新聞ではなかなか伝わってこなかった◆メディアの責任は当然ある。が、受け手側も、流される情報(操作されたものも含め)からいかに想像の翼を広げ、市民レベルで共感の輪を広げられるか。努力が問われる時代だ。(36号・6月30日)
♪しゃぼん玉飛んだ、屋根まで飛んだー♪ ご存じ野口雨情作詞の唱歌だ。農場主は最近までこの歌詞の本当の意味を知らずに娘に歌ってやっていた。連れ合いに教えられ、調べてみた◆二番の歌詞でしゃぼん玉は「生まれてすぐに」風が吹き「こわれて消え」てしまう。この世に生を受けてわずか七日で亡くなった長女への思いを雨情がうたったという。真偽はさだかではないが、そう思えば歌いながら涙がこぼれそうになる◆こどもたちを取り巻く環境はいま、「風」だらけ。最近ではアメリカに家を爆撃されたイラクの女性が我が子を抱きしめて泣き叫ぶ写真が心に残っている◆日本でも好戦的な法律が次々に整えられようとしている。食の安全性を守るための議論は、酢や牛乳まで農薬に指定してまじめな有機農家の手足を縛ってしまいそうなていたらくだ◆たんぽぽの綿毛を飛ばすのが好きな、一歳半になる我が娘を見ながら、どんな「風」からもお父さんはおまえを守ってやるからな、と心に誓う今日このごろである。親ばかで失礼。(35号・5月26日)
またアメリカが戦争を始め、日本が追随する悲しい事態となった。畑仕事をしながらも、爆撃で死んでいく罪のない人々に思いをはせ、春というのに憂鬱な日々だ◆地方で暮らす一農民に何ができるのか。生まれて初めて反戦デモに参加したり、ネット上の署名活動にかかわったりー。地道に続けるしかない◆そんな中、米国の言語学者チョムスキーの話を中心とした映画を観た。アメリカを「世界最悪のテロ国家」と断じる激しさの一方、ユーモアあふれる好々爺ぶりが印象に残った◆9・11テロについて。「行為の酷さについては驚くに足らない。アメリカはニカラグアなどでそれ以上の残虐なテロを繰り返してきた。今回は、誰が犠牲になったかという点で歴史的。(アジアの)従軍慰安婦が東京でテロを行ったことがありますか?」◆彼を熱狂的に迎える若い聴衆。まだアメリカも捨てたものではない。「世界はバラ色ではないけれど、奴隷制度のころに比べれば随分よくなった」。彼にならい、希望を捨てずじっくり話の輪を広げていこう。(34号・3月26日)
◆2002年◆
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あっだあ。な!。まんま。ないない(以下斎藤訳)みなしゃん、こんにちは。まなです。一歳になりました。いつもいろいろあんがとね◆思えばこの一年いろいろあったわね。生まれた時はなかなか外に出たくなくて両親をやきもきさせたり、いざ出る時はへその緒を首に絡ませた冗談が通じず焦らせたり◆生まれてすぐの冬は寒かったわ。でも生まれたときから強かった首の筋トレがよかったのか、四月には寝返りが成功。ずっと病気らしい病気はなかったのに、半年すぎてからは水疱瘡や突発性発疹で高熱を出したり、夏から秋はぐずぐずしてお母さんを寝不足にさせたものよ◆最近は少しずつ歩けるようになって、世の中が変わって見えるようになったわ。積み木の箱を押しながら部屋の中を散歩しているけど、すぐに壁にぶつかっちゃう。お父さんが方向転換してくれる時もあるけど、面倒がらないでね。おうちが狭いのが悪いんだから◆二歳になったら話せるようになるかな。その時にはもっといろいろ家庭事情の裏話をしてあげるわね(ぺしっ!) (特別号・11月28日)
一年の締めくくりである。日が短くなってきて、粉雪と太陽に追い立てられるように冬支度を急ぐ。トマトの支柱を片付ける手がかじかみ、ひび割れにキュウリネットが食い込んではひとり悲鳴をあげる◆そんな農場主に近所のリンゴ農家はみな親切だ。「ここ置いとくでね」の声に振り返ると、軽トラの荷台にリンゴの詰まった大きな袋。鳥につつかれたり風に揺られてきずがついたという。有機栽培に取り組んでいる大先輩のも、薬剤散布を全く気にしていないおじいさんのも有り難くいただく。毎年、我が家はリンゴには困らない◆就農して来年で五年目を迎える。まだまだ新米だ。それでも、今年は近所のスーパーに顔写真入り直売コーナーを設けたこともあってか、顔が知られるようになった気がする。「無農薬でやっているんだってねえ」と声をかけられることが多くなった◆牛糞を分けてくれている酪農家など地域の多くの方に支えられての新規就農。まだ何もお返ししていない。愚直に腕を磨き、早く自立することで恩返しをしたい。(33号・11月29日)
虫たちが冬支度を始める時期。農場の育苗ハウスでは、天井にカマキリがいくつも卵を産み付けている。畑でも、モンシロチョウの幼虫(青虫)から、寄生バチの子どもがぞろぞろ出てきた◆そんな虫たちの様子は、幼い頃の日々を蘇らせる。遊びといえば虫取り。カマキリやカエルの卵を孵化させたり、下校中にカナヘビを捕まえては、頭に白インクで通し番号を書いて自宅庭に放したり(まさに生態学のマーキング法!)◆農毒薬や化学薬品に頼らない農業は、毎日がこうした生き物たちとのつきあい。生態系の中から、ほんのわずかの収穫物を受け取り、またそれに代わる物を返す。命の連続とでもいうべき実感がある◆十ヶ月になった娘にカマキリを見せた。怖がるかと思いきや、スバヤク手を伸ばすと握りしめる。カマキリ以上に肝を潰し、あわてて逃がしてやったが、まあ、カマキリとも仲良くして命へのまなざしを養ってほしい。それにつけても、人の命を虫けらほどにも思わないテロリストや某国大統領にはあきれるばかりだが。(32号・10月27日)
ピーク時に二十数種類の野菜が入ったアンナプルナセット。「安い」という声を聞いた。送料を除けば一種類平均百円以下。確かに市価より安い。野菜が高騰した今夏、直売コーナーを設けている近所のスーパーでも同様の声を聞いた◆だが、ちょっと待ってほしい。春から夏、秋へとさまざまな内容に旬の野菜が移り変わる。種類は時には多く、時には少ない。少ない時は当然価格は「高め」になる。それでもセットを定額にしているのは「この金額で契約家庭の基本的な野菜をすべて提供したい」という思いがあるからだ◆年間を通じて責任を持って野菜を提供するのに対し、消費者が農場主の生活を支えることでこたえるーそんな関係作りをしていきたい◆この前提からすれば、安心できるおいしい野菜をーと取り組んでいるうちの野菜を、農毒薬(最近は無登録農薬の使用が話題になっている)を振りまいた名無しの野菜と価格だけで比べないでほしい。市場原理とは違う、消費者と生産者を直に結ぶ「適正な価格」があるはずだ 。(31号・9月25日)
農場主とその同居人が所属する伊那フィルハーモニー交響楽団は今、ベートーベンの「田園」を練習している。あの「セロ弾きのゴーシュ」にも登場する「第六交響曲」である◆自身が楽譜の冒頭に書き残した「田舎に着いたときの晴れやかな気分」とは、まさに農場主が毎朝味わっているものだ◆朝日に輝くミニトマトは宝石のようだし、朝露に濡れた蜘蛛の巣は生きる喜びにあふれている。非農家のベートーベンにも味わってほしかった「晴れやかな」体験である◆こうした農業の楽しさや自然の豊かさを多くの人に伝えたい。そう思って農業に取り組んできた。が、現実はどうだろう。作物を商品としてとらえ、価格や味を比較されるだけ。努力が足らないのは確かだが、ミニトマトを生み出す「田舎の風景」にまで思いを巡らせてくれるのはうちのお客さんくらいだ◆そんなわけで、十一月十六日夜に長野県伊那文化会館で開く定期演奏会では、農民自らが田舎の素晴らしさ、そこで暮らす喜びを精一杯表現したい。チケットは農場主まで。 (30号・8月19日)
先日、農場主一家が住む南箕輪村南原地区の「開拓の想い出を語る会」というのに顔を出してみた。満州(現中国東北部)から引き揚げ、戦後すぐに開拓に従事した古老らが語り部だ◆食糧事情を改善すべく国策として行われた開拓事業。松林を伐り、大豆を播いたが、火山灰土のうえに松林ゆえ酸性が強く、最初の年はかご一杯の種を播いて収穫量は一杯に満たなかった◆四畳一間くらいの小屋を建て、風呂は共同のドラム缶風呂。その水も遠くの川から運んでこなければ手に入らない。配給の米は五人で一食一合。とても足らないのでネズミやカエルを捕まえて炊き込んだという。なんとも凄惨な話である◆その後国策は農業から第二次、第三次産業に取って代わった。経済団体のお偉いさんは「日本農業の効率化を」と農地の流動化、株式会社の農業参入を熱心に訴えている◆そんな時代だからこそ、先人が苦労して切り開いた農地を守り、効率だけでは計れない安全な農産物をつくる喜びを次の世代に伝えていきたい、とあらためて思った。(29号・7月15日)
法定外の食品添加物の問題に関し、ある評論家がラジオで「訳のわからん薬が入っている安い菓子を食っている貧乏人は早死にし、金持ちは高い有機野菜を食べて長生きする」と憤慨してみせた。気持ちは分かるが、例が悪すぎる◆背景にあるのが、エンゲル係数の呪縛だ。百五十年も前にドイツの学者が考えた「所得が多いほど家計における食費の割合が低い」という法則は、食の安全が脅かされている現在、通用しない◆さて、市場経済の中、工場製品同様に価格低下と大量生産を迫られている農産物だが、本来の適正価格があるはず。苦労して作った米が十キロ三千円でスーパーに並ぶのは不思議だ◆生産者が誇りを持って生産した食品を消費者が適正価格で購入する。「フェアトレード」に通じるこの考えに基づけば、エンゲル係数は少々高くて当然だ◆家計全体の中で、命を支える食べ物にどれだけお金をかけるかは、所得にかかわらず生き方の問題だ。食費を削る前に、削るべきお金はありませんか? ジャンクフード好きの評論家さん。(28号・6月10日)
狂牛病が騒がれるようになって以降、牛とは一見無縁の当農場でも徐々に影響が現れてきた。まず火山灰性土壌で欠乏しがちな燐酸分を補うために米ぬかに混ぜてぼかし肥料を作っていた骨粉が販売されなくなったこと◆肉を取った残りの骨を加工して畑に戻すというのは、地域の物質循環という点では理にかなったやり方だ。今後は輸入物のグアノ(海鳥の糞)でも代用しようかと考えている◆もっと深刻なのは酪農家が経営難に追い込まれていることだ。農場主も近所で良質の堆肥を分けてもらっており、人ごとではない。他地域では子牛や廃用牛の薬殺が進んでいると聞く◆牛を牛に食べさせるのは、共食い習慣のない動物にとって明らかに不自然。狭い牛舎で濃厚飼料を与え、ブロイラーのように肉牛を飼育してきたつけだろう◆それでも、この辺の酪農家は開拓地で自ら牧草を育て、健康な牛を育てている人が多い。大きくいえば中ア山麓のたおやかな風景すら作ってきた。堆肥も風景も農場主にはかけがえがない。頑張れ、僕らの牛飼い!(27号・5月8日)
都会ではマンションのベランダなどに巣くい、洗濯物を汚したりして嫌われ者のハト。平和の使者も日本ではさんざんな評判だが、「現代農業」増刊号で興味深い記事が目に留まった◆イランで千年以上前から農民が築いてきた「ハトの塔」。日干し煉瓦を高さ十b以上も積み上げ、野生のハトを営巣させて糞を集める。天敵対策やハトを呼ぶさまざまな工夫がなされ、一つの塔で年間一〜三トンも集まるという◆鳥の糞は、有名な海鳥の糞化石「グアノ」に代表されるように肥料として高い価値がある。ハトの糞も長い間、イランの農民によって畑にすきこまれてきた◆森と畑を行き来するハトは、生態系の中では物質循環を進める血液のような存在。これをうまく利用し、永続的かつ高いレベルの農業生産を可能にした◆遺伝子組み替え作物や化学肥料に頼らず理想的な農業を守ってきたイラン。同国を「悪の枢軸」などと罵倒しているどこかの国の大統領に読ませたいような記事だが、日本でもハトやカラスの活用など考えてもよいのでは? (26号・3月4日)
◆2001年◆
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「はい、息んで」。分娩台の上で同居人に馬乗りになった女医さんがお腹を押す。髪の毛が見え、首にへその緒が二重に絡まった赤ちゃんが出てきた。看護婦さんが必死にほどく。「元気な女の子です」。不覚にも涙がこぼれそうになった◆小学校教員をしている同居人は、立ち仕事の無理がたたり、切迫早産で七月以来休職して自宅で絶対安静の日々に。農場主は畑仕事の一方、同居人のお母さんの応援を得て主夫≠フ役割を担う。「一日でも長くお腹に」と頑張り、十月後半には半月間の入院も体験した◆さて予定日の十一月二十日が過ぎたら今度は兆候が現れず、逆に「体を動かせ」と再入院。陣痛促進剤の投与などを経て、結局は自然分娩に近い形となった◆つよく希望していた立ち会い出産が特別に認められ、感動もひとしおだった。今も、書きながら涙腺が緩くなっているのを感じる◆命の誕生を目の当たりにして、あらためてテロや戦争への怒りがわいてくる。この子のためにも、真の平和の実現にむけ、努力を続けたい。(25号・11月28日)
アフガンから一時 帰国している国連難民高等弁務官事務所の職員、千田悦子さんの話を聞く機会があった。NHKの中継に登場したり、同国の現状について書いた友人へのファクスがチェーンメール化するなど話題の人◆あのテロの日、「怖いね」「気の毒」と我々と同じ感情を抱いたアフガンの人たちが、今アメリカ人に殺されている。悪の権化のように報道されているタリバンは、アジア的な優柔不断さを持つ政権で、女性への人権侵害なども、「布告」の中身と現実の対応はかなり違っているらしい◆「問題の根源は貧しさ」という。ソ連の侵攻以来世界から見放され、干ばつなどで世界最多の難民を生み出している同国。が、国連の活動はこの戦争で停止した。「アメリカに引きずられている国連にものを申せるのは日本。その政府を動かすのは私たちのはず」◆農場主は来月、父親になる。千田さんの祖母が、日本の現状を「真珠湾の時と同じ」と言ったという。対岸の火事と見ていては、次の世代に禍根を残す。過ちは、繰り返してはいけない。(24号・10月22日)
戦争の足音が聞こえる。憎しみの連鎖が、果てしない泥沼に我々を引きずり込もうとしている。けっして、流れに身を任せてはいけない◆米国のテロ事件で犠牲になった方々に、心より哀悼の意を捧げる。でも、憎しみは何も生まない。アメリカに対する憎しみが野蛮なテロを生んだとすれば、それに憎しみで応じるのは愚の骨頂だ◆問題なのは、事件の背景がなにも語られないことだ。ブッシュは「自由に対する挑戦」と叫んだが、アメリカがこれまでグローバリズムの名の下で行ってきたことは、自由への挑戦ではなかったのか。それがテロのように「分かりやすい」形で目に見えないだけだ◆農業分野でみても、「緑の革命」の美名で農薬と化学肥料を世界中にふりまいて伝統的、持続的な農業をする自由を奪い、現在も遺伝子組み替え技術で生態系の破壊を進めようとしている◆もちろん、そうしたグローバリズムに対するプロテストがテロであっては断じてならない。同時に、理性をもって我が身を振り返る勇気を、アメリカには求めたい。(23号・9月24日)
農場主と同居人は昨年結婚する際、長い間話し合った末に別姓で暮らすことにした。その場合、通常は籍を入れない「事実婚」を選択するカップルが多いが、農場主らは「妻の姓」で婚姻届を提出◆同居人の職場ではいわゆる「旧姓」を通称として使えないため、農場主が譲った形。が、婚姻届の「婚姻後の夫婦の氏」の欄にある二ミリ四方ほどのチェック欄に記入した時にはさすがにペンが震えた◆憲法が宣言する「個人の尊重」が踏みにじられたーと感じた。名前というアイデンティティの根本が、こんな簡単に崩れ去る現実に怒りがわき起こった。夫の姓を名乗らされている多くの女性の気持ちが分かり、生まれて初めて、署名活動なるものを身の回りから始めた◆そんな中、選択的夫婦別姓を導入する民法改正案が九月の国会に提出される、とのニュースが飛び込んできた。「非嫡出子」の相続差別の解消には至らないようだが、一歩前進であるのは確か。多様性を認めることと個の尊厳を守ることは同義だ。期待しつつ、論議を見守りたい。(22号・8月23日)
素人さんが農場主にまず質問することに「畑はどのくらいの広さか」というのがある。これはもっともな質問。次に来るのが「主に何を作っていますか」◆親愛なるお客様はこんな質問が有機農業をやっている我々にとって無意味なことはお分かりだろう。何せ栽培している品目は数えたことはないが、軽く百は超える。「主に」という質問は少品目、大規模栽培を中心とする慣行農法の農家だけに対するものだ◆そんなとき、農場主はにやりとしてこう答える。「雑草かな」。実際、先日終わった田んぼの草取りでは畦が累々たるヒエの死体(!)で埋め尽くされたし、畑ではチョウチョ除けでキャベツにかぶせたネットを雑草が持ち上げ、東京ドームのようになっている◆さらに追い打ちをかけるのが、畑での質問だ。「あそこに生えているのはモロヘイヤかね」「このじゃが芋、元気いいね」。「いやそれはイヌビエで」「こっちはワルナスビ」などと正確に答えるのも面倒だ。「ええ、まあ」などと曖昧に笑いながら、今年も草との戦いは続く。 (21号・7月23日)
ネパール時間の六月一日未明、同国でビレンドラ国王夫妻らが射殺されるという痛ましい事件が起きました。農場主は言葉を失っています。
農場主が青年海外協力隊員時代の90年4月、民主化運動の高まりを受けて流血の事態を避けるため、あっさり王制から立憲君主制への移行を認め、穏やかな人柄で多くの国民から敬愛されていた国王。同国民の悲しみを思うといてもたってもいられない気分です。
早速ポカラに住むアマ(お母さん)一家に電話。農場主が妹と呼ぶブディ・クマリは「悲しくて今日は朝から何も食べる気がしない」と少し涙声で話しました。その後、日本で働いている彼女の夫とも電話で話したのですが、「国王は父親か神様みたいな人。あんないい人はいないのに・・・」と絶句。ネパールの中枢から遠く離れたカーストであるグルン族の彼らでさえこの様子。国民の悲しみは頂点に達しているのでしょう。
民主化以降、政情不安が続く同国。現政権も、亡くなった国王がいたからこそ国民の支持を辛うじて保っていたという一面があります。摂政となったギャネンドラ氏は、残念ながらあまりいい噂を聞きません。極左の毛沢東支持グループによるテロなど、これから国の基盤を揺るがすような不穏な動きが高まらないか、心配です。
農場主自身は、ネパールに居たときに亡くなった昭和天皇の時と同様、ヒエラルキーやさまざまな因習、制度の頂点に立つ権力者(権力の多寡は問わず)の死には一個人の死以上に特別の思いはありません。それでも、多くのネパール人の友人が悲しんでいる現実を前に、心からお悔やみの気持ちがわき起こってきます。 アンナプルナの神様をはじめネパールの神々、どうか彼の国の人たちにこれ以上の災いを与えませんように。残された人たちがこれからも幸せに暮らせますように。
通信20号を印刷した直後に飛び込んだバッドニュース。取り急ぎ、雑文をしたためました。繰り返しになりますが、衷心から国王夫妻ほか亡くなった王族の皆さんのご冥福と、ネパール国民に幸多きことをお祈りしています。 (号外・6月3日)
この春、育苗ハウスのピーマンにはアブラムシが大発生した。高温多湿で風がなく、天敵も防がれている最適の環境となったからだ◆茎や葉からちゅうちゅうおいしい液を吸われてはたまらないので、去年から取っておいたニンニクの葉の汁を霧吹きでかけたり手で潰したがうまくいかない◆そこで登場したのがテントウムシ君。まだ畑では数が少ないのだが、一匹だけなんとか捕まえて放してみた。アブラムシと共生するアリたちが果敢に噛みついてくるのを振り払い、むしゃむしゃ食べていく。すごいすごい。でも、翌日にはアリの攻撃に堪えかねてか姿を消していた◆やっぱりな、とふと見ると、葉の裏に黄色い卵がびっしり。餌が豊富な所に子孫を残していってくれたのだ。幼虫は成虫以上に食欲が旺盛。うれしかった◆上へ上へ登ることから、天国に席を予約してくれるーという西洋の信仰があったり、日本ではいつもサンバを踊っているイメージがあるが(?)、見かけによらないもの。働き者のテントウムシ君、今年もよろしく頼むな。(20号・6月1日)
緑が 萌えたつ春は、農家にとって一年で一番うれしい時期。あれをしよう、こうやろうかと考えながら畑を眺めているだけで楽しくなってしまう◆でも、実は一番食べ物の乏しい時期でもある。冬の間食べてきた漬け物が古くなり、大根や人参など保存野菜もそろそろ底をつく一方、畑では冬菜やホウレンソウの新芽が出てきたとはいえ、まだ食べちゃうにはかわいそうなくらいだからだ◆そんなわけで、「君がため春の野に出てて若菜つむ/我が衣手に雪はふりつつ」(古今集)の心境で、畑の周りから野草を集めてくる。フキノトウをはじめ、ナズナ、甘草、田ゼリなどが主なところ。どれも春の香りにあふれる。ナズナの金ゴマ和えなどたまらない一品◆自給を目指す我が家では「栽培」に加え、こうした「採集」も大切ななりわいだ。さらに、農家仲間には暇をみては近所の沢で釣り糸を垂れる人も。こちらはまさに「狩猟」。貴重な動物性蛋白が得られるこの人類で最も古典的な分野にも、今年は挑戦してみよう。もちろん楽しみながら。(19号・4月3日)
農場主が青年海外協力隊時代に暮らしたガンドルング村は、この十年で大きく変わった。まずは電気が来たこと。水力発電のダムにより、中流以上の各家庭に百ワットの電球一つがほぼ行き渡ったのだ◆加えて、外国人相手のロッジが三十軒ほどに倍増したこと。三階建ての石造りのロッジが林立するさまに、時代の流れを感じる◆財を築いた村人の中には、出稼ぎに出た父親や夫を頼って香港に移住したり、アマ一家のように都市に家を建てるなどし、村で会えなかった人も多かった◆その一方で、女性の識字教育に力を入れたり、伝統文化を保存しようと新たな寺や博物館を建設する動きも。当時八年生(日本の中二)だったあんちゃんは、今では母校の頼もしい先生になっていた◆当時一緒に植林活動をした仲間に会った。職を退いた今は白髪頭になり、妻や水牛と穏やかに暮らしていた。「サイトウは有機農業か。俺も、一生ここでそんなことをして暮らすよ。この村が一番だ」。人生さまざまとはいえ、なんだか、しみじみとうれしかった。 (18号・1月15日)
◆2000年◆
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今世紀の農業は、化学肥料と農薬の存在を抜きには語れない。それらの投入により単位面積あたりの収量が飛躍的に増加したことは事実だ◆最近になって、遺伝子組み替えという第三の技術が生まれた。新しい世紀はこれらによって食糧生産がさらに増大すると喧伝する人がいる◆もうだまされてはいけない。「高収量」の陰で農地が疲弊し、第三世界の人々が貨幣経済にのみ込まれ、消費者は環境ホルモンの影におびえるような現状は、このままだと新世紀に引き継がれる「負の遺産」以外の何物でもない◆すぐれた思想家のヴァンダナ・シヴァ氏が指摘するように、戦争で使う爆薬を製造していた企業が「平和目的」に化学肥料製造への転換を打ち出したのが今世紀前半のこと。いまは学者が功をあらそって遺伝子組み替えの研究に没頭している◆いま必要なことは、ヒトという生物としての当たり前の姿を取り戻す闘いだ。来世紀が戦争や農薬、化学肥料などのない平和な世界になることを願いつつ、これからも愚直に、そして楽しく闘っていこう。 (17号・12月15日)
寒さが募ると、育苗ハウスは近所の猫どものたまり場と化す。朝、出荷前にハウスの戸を開けると、ころころ・・・と鈴の音の大合唱が聞こえ、各猫がぼかしの袋の上などによじ登ってじっとこちらの動静をうかがっている。猫なで声で呼んでも無反応で寂しいのだが◇なぜか農場周辺には猫が多い。刈り取りが終わった飼料用のとうもろこし畑で、ネズミを追っかけてか飛びまわっている姿を初めて見たときは、アフリカのサバンナで獲物を狙うチーターを連想した◇そんな格好良い姿を見せる一方で、暑い夏には、我が家の直売所に並べた冷たいレタスの上に寝転がって涼をとることも。覗きに来た農業の師匠に、「直売所に招き猫がいるのか」と感心されたものだ◇ネズミ対策で飼ったり餌付けしたのが増えたのだろうが、我が家にあまり「猫の手」は貸してもらえない。これから家の中はネズミの運動会の季節。慣れなくていいし、糞さえしなければハウスも開放するので、頼むからネズ公を一匹でも捕まえてくれ、と祈るような気持ちだ。(16号・11月20日)
最近、チベットに関する二つの催しに出る機会があった。一つは人権擁護団体アムネスティが行った講演会。農場主と同い年の尼僧(九〇年、インドに亡命)が、八八年のチベット民主化運動の際、「チベットに自由を」と叫んだだけで中国当局に逮捕、拷問された様子を語った◇自発的に参加したデモなのに「首謀者は誰か」と何回も尋問、所構わず殴られ失神し、その後も局部に電気ショックを与えられるなど、講演の大半は拷問の詳細な説明に費やされた。状況は現在、さらに悪化しているという◇もう一つは映画の上映会。「在日」の若手監督が自分のアイデンティティを探す中でチベット問題に出遭い、ダライラマや尼僧のような亡命者の聞き取りや、ラサで文革時に破壊された寺のルポなどをまとめたものだ◇ともに自分と同世代の人による体験。タナカ知事の「民主化」とはレベルがはるかに異なる状況が身につまされた。何が自分たちにできるだろうか。詳しくはアムネスティのホームページhttp://www.amnesty.or.jp/か農場主へ。 (15号・11月3日)
夕闇迫る中、最後の稲束をはぜ棒に掛けた十二日は、ネパールではダサインの最終日だった。同国最大の祭りで、月末の光の祭り<eィハールまで、国を挙げたお祭り騒ぎが続く時期である◇ともにヒンドゥーの神々の勝利を祝う祭りだけれども、小麦を播いてその苗をお供えしたり、ヤギや水牛などを屠殺したりーと、収穫祭としての意味合いが強い◇その日は我が家でもちょっとした収穫祭。足踏み式の脱穀機でもみにして、精米機で白米にしたのを、頂き物の松前漬けをおかずに祝杯をあげた◇至福である。うまい、という言葉では足りない、感謝の気持ち。お世話になった多くの人の顔が浮かんできた◇家族をはじめ、ゼロからスタートの農場主をあらゆる面で助けてくれた有機農業仲間、地域の先輩、古い機械を譲ってくれた人、何よりも野菜を買ってくれるお客さん…。そしてもちろん、豊穣の女神アンナプルナに感謝の祈りを捧げた。この時期、かの国でラリっているおっさん達ほどではないが、ちょっぴり興奮気味の農場主である。(14号・10月20日)
先日、知人に誘われて、松本でサイトウキネンオーケストラのリハーサルを見学した。小沢征爾指揮のベートーベンを二曲。一番安い席で八千円もする本番はとても行けないので、まあ一応話題の「音」を聴いておこうというわけである◇一流の音楽家が顔を揃えているだけあって確かに水準以上で、きらめくような音の渦を楽しんだ。でも、何か足りない。彼が師と仰ぐカラヤン同様、きらびやかだけど、深い精神性とでもいうのか、人生をかけ、全力で作品とぶつかるーといった真剣勝負は感じられなかった◇仄聞するに、イタリアのあるメーカーのバッグが流行っているそうだ。ナイロン製のちゃちな造りなのに数万円以上もするそれが、世の女性の垂涎の的になっているとか◇そういえば、法制化で「有機野菜」もどんどんブランド化するのだろうけれど、芸術でも何でもいったん人口に膾炙すると、「本物」が見えなくなるのが怖い。「アンナプルナセット」だけはブランドになっても(いつの日だ?)本物を究めつづけたい。 (13号・9月13日)
朝早く畑で収穫していると、近所の水田から農薬が風に乗ってくる。苦しくて、こんこんとせきをしていると、おじさんが気がついて散布をやめてくれた◇農薬という名の毒をまくことを「消毒」と、何やら衛生的な言葉でごまかし、「減農薬」という言葉が定着する。この言葉遣いの奇妙さは、何だろう◇先日、村の呼び掛けで「ゆうきの会」(仮称)という農家の組織作りにむけての会合があった。誘われて出かけたが、採算の合わない村堆肥センターの需要を増やすのが目的と判明。おまけに規約案によると、農薬は「三割以上削減」、つまり慣行の七割は使って良いというお粗末さだった◇ばかばかしくて、「七割の会」にしたらーと陰口をたたいて帰ってきたが、その後、さすがに「有機」の名称は変更して会が発足したようだ◇言葉の軽さは変わらないけれど、近所のお百姓さんたちは、だんだん無農薬畑に注目してくれるようになった。当たり前の言葉で話せる日が早く来るよう、当たり前の農業を続けよう。 (12号・8月21日)
原爆投下、敗戦と記念日が続くこの時期は毎年、各メディアがそろって平和特集を組む。韓国植民地化や「蘆溝橋」、「真珠湾」はほとんど無視してのお決まりパターンなのだが、今年は「沖縄」の露出度が際立っている◇サミットの開催、二千円札・・・。クリントンが摩文仁で演説するのをテレビで見ながら、五年前の忌まわしいレイプ事件がなければ、これほど沖縄に関心が集まることはなかったろうと、たまらない思いがした。加えて、かの国ではどれだけの人が「オキナワ」の意味を知っているのかな、とも。すっかり成長したであろう、あの少女はいま、何を考えるのだろう◇農場主は沖縄を知らない。二十歳の時、自転車で本島を一周した際、南部のあるガマで感じた、背筋が寒くなるような恐怖感が、唯一ともいえる沖縄体験だ。大半の米国民よりましだろうが、語る資格はない◇でも、考えなければ。「朝鮮半島の統一は民族同胞でー」と同様、沖縄の基地問題は私達自身の課題だ。暑い夏、草を抜きながら、沖縄に思いを寄せつづけたい。(11号・7月24日)
懸案だった直売所が遂に完成した。家の中で昼飯をかき込んでいると乗用車が止まる音が聞こえ、そっと窓から覗くと品定めをしているおばちゃんがいる。「その大根、買ってくれええ」◆朝、野菜を並べたあとは、何だか釣り糸を垂れているか、鳥の餌台を観察しているような気分だ。売り上げは一日で数百ー千円程度と少ないが、このわくわくがたまらない◆さて直売所が完成した二十五日の夜、某新聞社から頼まれて総選挙の開票速報のバイトをした。町役場の開票場から得票数などをファクスで送るだけというもの。ただ作業を見守るだけの退屈な仕事であるが、拘束六時間余で一万円のおいしいバイトだ◆受け取って、なぜか怒りがこみ上げてきた。苦労して作ったブロッコリーが直売所では百個分の金額。こんなアホみたいな仕事とは明らかに釣り合わない。あらためて感じる、農業を取り巻く環境の厳しさだ◆農場主の脳みそに生じた貨幣価値のダブルスタンダード。それはとりもなおさず、日本社会のひずみを物語っている (10号・7月3日)
都会の喧騒、田舎の静寂」といった対比がよくされる。確かに都会の繁華街はさまざまな音にあふれているし、信州の山村では鳥の声がやめば驚くような静寂に包まれることがある◆さて当農場である。「知らない土地で寂しいでしょう」とよく言われる。が、実際には農場は甚だうるさいのだ◆その筆頭は畑の隅の木のてっぺんに一日中いるヨシキリ。ぎゃぎぎゅげ・・・と言っていたかと思うと「ギギギ、ギブギブギブ」と騒ぎ出し、「誰とプロレスしてんねん」と関西人ならずとも突っ込みを入れずにはいられない◆何に不満があるのか、走ってきては「ふん、けっけっけっ」と人の顔を見てはき捨てるキジ、畑の真中に卵を産み付け、近寄ると「わっわっわっ」と飛び立つヒバリ、そして雨が降りそうだと元気が出てくるカエルも◆風向きによっては遠くの畑にいる老夫婦の内緒話が聞こえるし、有線放送のスピーカー、解散前から熱心に回っている某政党の街宣車、ソフトクリーム屋の車・・・。中山間地は都会と田舎の騒音が両方楽しめるのだ。 (9号・6月29日)
伊那谷では桜の名所・高遠のコヒガンザクラも散り、リンゴが花盛りになった。フジやスズラン、スミレなどに加えて畑でもレンゲやホウレンソウ、菜の花が満開。まさに百花繚乱だ◆諏訪湖の水を引いたいわゆる「西天竜水系」に借りた田んぼでは周囲で代かき、田植えがどんどん進んでいた。それを横目にハウスの苗作りに精を出していたが、やっと今日でほっと一息、「追いついたあ」という感じである◆慣れない田植え機。代かきをしたトラクターのタイヤ跡に足を取られ、ラインがどんどんずれる。近くの農業の師匠が見に来てくれたスタート時点は緊張もあってまっすぐに植えていたのだが、彼の姿が消えたとたん、苗は田んぼに抽象画を描き始めた◆だだっ広い田んぼに一人ぼっち。とはいえ、カッコウやひばり、カエルの声がうれしい。なにはともあれ、二年目のスタートである。以前は稗が多かったという田んぼ。畑も忙しくなる時期、米ぬか除草など試みて、どこまで草を抑えられるか。戦いは始まった。(8号・5月18日)
春。瀬戸内で育ち、「ひねもすのたりのたりかな」の海が春の最大のイメージだった農場主にとって、雪解け進む伊那路の独特の明るさは新鮮だ◆落ち葉の堆肥を切り返しながら、青空に揚げひばりの歌声を聞き、隣の休耕田では金色に満開の福寿草を愛でるー。大好きなハンノキの新緑も間近◆去年はとにかく無我夢中だった。作物の特性も分からず、ただ種を播いて植えて収穫。お客さんには随分変な野菜を送りつけたなあと反省しきり。今年もそんなに急激に上達するとは思えないけれど、もう少し苗のうちからじっくり作物と対話し、本人(?)の持ち味を引き出すような農業をしたい◆ところで、JAS法の改正で四月から有機農産物に関する基準が適用される。私はもともと有機農業といういい方があまり好きではない。生態系に即した当たり前の農業に冠は要らない。当たり前の農業をして、消費者との当たり前の提携ができるよう、今年もいい汗を流そう。正念場の春。期待と決意の春でもある。 (7号・3月25日)