みみずのたわごと    ホームへ

農場主がアンナプルナ通信で毎回連載しているエッセー。農作業の合間に気づいたこと、日頃感じていること、分野を問わず書き続けています。

2000年 2001年 2002年 2003年  2004年  2005年 2006年 2007年

◆2019年◆
縁あって近くの高校で講義をしてきた。「地域の変遷と現状」をテーマにさまざまな職種のオトナが語り、生徒は対話を通じて探求課題を見出すーという趣旨。銃撃され命を失った中村哲さんのことが頭を離れず、彼がアフガニスタンで進めた遠大な灌漑事業と、わが地元のそれを比較することにした◆細々とした沢水しかないため米が作れず「日本一の貧乏村」と揶揄されたこともある我が西箕輪地区をはじめとした天竜川右岸地域。明治の終わりから、諏訪湖の水を伊那まで引く、かのマルワリード水路とほぼ同じ距離に及ぶ「西天竜用水」建設に官民挙げて取り組んだ◆さらに山際の地域でも水が欲しいと一九七〇年年代には天竜川からポンプアップした水をため池に貯め、暗渠を張り巡らす「畑灌」も完成した。こちらの維持管理には農場主もかかわっている◆片や砂漠化した大地を潤して六十五万人の食料を生み出し、片や農業離れで施設は無用の長物化しつつある。「地球規模で考え、地域に根ざした行動を」と呼びかけたが、心に響いたかな。(第154号・12月20日)
 
台風被災地では「ボランティア不足」という言葉をよく耳にする。かつての満蒙開拓が自発性をうたいながら自治体や学校などに応募数を競わせたことを想起させる◆なんとなく抵抗を感じていた中、自分の目で確かめようと二度にわたって長野市北部の災害ボランティアに入った◆台風で千曲川が決壊した地域。背丈以上まで泥をかぶった痕跡を残すリンゴ畑に流れ着いたハウスの骨組み、ビニール類、果てはエアコンの室外機やピアノまで泥に埋まっているのに声を失った◆静岡から来たという初老の男性は週末のたびに高速を飛ばして一泊二日で作業し、また仕事に戻るという。頭が下がる。全国から集まってきた人たちが泥だらけで黙々と作業を続ける姿に胸が熱くなった◆他方自衛隊は近くの公園に設けられた集積場からゴミを搬出したら撤収してしまったという。個人の財産にかかわる支援を公的に行うのは難しいというのは分かるが、善意に頼る復興がどれだけ進むのか、汗を流して充実感を味わう一方で複雑な気分になった。(第153号・11月29日)
 
天皇の即位礼をテレビで見た。アナクロニズムの極致だが、あれが伝統というなら受け入れる余地はあるかな、などとぶつぶつつぶやいていると突然コーヒーを吹き出しそうになった◆安倍首相が天皇を見上げる形で祝辞を述べた後のこと。突然「テンノーヘーカ、バンザーイ!」と叫んで万歳三唱を列席者に要求したのだ。いったい何時代なんだろう◆戦争を知らない天皇に向かって戦争を知らない首相がバンザイを叫ぶ。国王を擁する諸外国でも即位の時には叫ぶのかもしれないが、我が国では事情が異なる◆先の戦争では天皇が国体とされ、兵士は天皇陛下万歳を叫んで死んでいった。そんな国はほかにはない。階級や身分による差別の頂点に立つ天皇を利用することで軍事国家はいびつに巨大化し、他国の侵略に突き進んでいったのではないだろうか◆最近相次いで世を去った農場主の両親は幼い頃戦争を経験し、なぜあの戦争が起こったのかを問い続けてきた。二度と聞きたくない言葉だろう。残された農場主もその思いを後世に伝えたい。(第152号・10月28日)
 
ひじき、のり、かつお、くらげ、そしてキャビアー。こうした海産物を並べてみてピンときたあなた、相当なアンナプルナマニアですね◆淡路島を望む海峡の新興住宅街で生まれ育った農場主。子供の頃の食卓にはいつも新鮮な魚がのぼった。海なし県で自給自足を目指す現在、海産物の自給は喫緊の課題だ◆かつて長野県など山から離れた地域は海産物が貴重品だった。峠を越えて運ばれた身欠きニシンや塩サンマ、缶詰類は、たとえばネマガリダケとサバ缶の味噌汁やキュウリと塩丸いかの和え物など、山国の食文化としてしっかり根付いている◆さて自給を旨とする農場主宅の食文化。最初に挙げた数種は畑で取れるようになった。「かつお菜」以外はいずれも「おか」や「山」「畑の」といった接頭詞を伴い、おかひじきは初夏のアンナプルナセットの常連だ◆秋取りのおかのりは肉厚だ。軽く火であぶると遠くで海苔の香りがする。現在ハウスで乾燥中のとんぶりは畑のキャビアとも言われる。ともに近くセットに入るのでお楽しみに。(第151号・9月30日)
 
日韓政府の泥仕合が止まらない。韓国最高裁の徴用工をめぐる判決への対応に同国政府がもたつく間に日本側が恫喝的な輸出規制に踏み切り、韓国側も軍事協定の見直しで応酬する◆韓国で日本製品の不買運動が報道される一方、日本では書店に嫌韓本が山積みにされ、マスコミも嫌韓を煽るのに躊躇しない◆時を同じくして名古屋で開かれた企画展「表現の不自由展・その後」がわずか三日で開催中止という事態になった。慰安婦像や昭和天皇の写真を含めたコラージュが反感を呼び、テロ予告まであったため、とされる◆ふたつの「事件」に共通するのが、この国が抱える歴史認識の浅さ、甘さだ。名古屋市長は同展の開催を「日本国民の心を踏みにじる行為」と批判し、日韓関係では外相らが「国際法違反」と相手をなじるだけ。内向きな態度、と捉えられても仕方あるまい◆「過去へ目を背けるものは現在にも盲目となる」というワイツゼッカー氏の箴言はどこへやら。浅からぬ縁がある両国は隣人として仲良くしていかなければならないのに。(第150号・8月31日)
 
我が家の高三の娘あてに先日、自衛隊からはがきが届いた。アンケートという名目の、勧誘する内容だった。どうやら適齢期の子全員に送りつけているようだ◆市役所に抗議の電話をした。「法律に基づいて要請に応え、住民基本台帳の閲覧を認めた」との回答。閲覧の可否は市長の裁量なので、今後は拒否するよう求めたが、「理由がない」と断れた◆開示される当事者がプライバシー侵害を理由に拒否を求めている。その旨を市長あての手紙に書いた。「これじゃ赤紙の再来だ」と。一ヶ月以内に回答するとの由◆そんな中、札幌で遊説中の安倍首相に「アベはやめろ」「増税反対」と叫んだ男女が警察に排除される事件が起きた。通行人が肉声で声を上げただけで国家権力は力を振るうのか。身震いがした◆かのキング牧師は「善人の沈黙が最大の悲劇だ」と説いた。昨日の参院選では有権者の二人に一人以上が投票に出かけなかった。この沈黙が現政権をずるずるとのさばらせている。これからもおかしいことに対して声を上げ続けたい。(第149号・7月22日)
 
G20の環境相会合が長野県で開かれたこともあって、新聞で目にしない日がないプラゴミ削減の話題。我が家は野菜は自給しているし生活クラブの宅配やってる。本業ではポリマルチは一切使わないし、プラ包装のゴミは平均よりかなり少ない方だとは思う◆でも毎日食べる納豆のパックは最大のゴミかもしれないなあ、とつぶやいたら息子が「作ればいいじゃん」と一言。即、ヨーグルトメーカーを購入した◆納豆はこれまでも作ったことはある。わらつとに包んだ大豆を、踏み込み温床や米ぬかを積んで作るぼかし肥料の山に突っ込んだりして。でも雑菌が入ったり発酵がうまくいかず、あきらめていた◆電気の力を借りる発酵に抵抗を感じていたが、消費電力が意外に小さいのを知り許容することに。茹でた大豆に市販の納豆を混ぜ、四十五度で丸一日。冷蔵庫で一晩寝かせると本格納豆のできあがり◆さて件の息子君。「くさっ」と一言を発して箸も付けない。温室育ちの家族にはにおいの強い食品は受け付けてもらえなかった(涙)。(第148号・6月24日)

五十を過ぎ
て身近な人を相次いで見送るなかで、ふとオノレの体が気になった。家人にはメタボと誹られ、公的施設なんかでよくおいてある血圧計でたまに測るといつも高め。なにかオソロシイ病気を抱え込んでいるかもしれないと怖くなり、四半世紀ぶりくらいに人間ドックを日帰りで受診してきた◆胃カメラというものを生まれて初めて飲んだ。殺されるのかと思った。知人が「海亀の産卵」と評していた通り、涙と鼻水まみれになり、次の視力検査は散々だった◆結果は「メタボの疑い」「肝臓の数値が少し…」「血圧高いです」等々、世のおとーさんたちが酒席で数値異常を自慢しているようなレベルの話でほっとした。ただ酒と塩分は控えろーと◆都会のサラリーマンのようなストレスはなく、食事は自給無農薬野菜が中心で外食はほとんどなし。それでも加齢のせいか、健康に黄信号を突きつけられた◆おたおたするのと鼻先で笑い飛ばしたい気分が半々。「酒止めようかどの本能と遊ぼうか」。金子兜太翁の境地にはまだまだだ。(第147号・1月26日)

◆2018年◆

現政権がツッ
コミどころ満載なのは今に始まった話ではないが、今年四月の種子法廃止は特にひどかった。規制改革の名の下、ほとんど審議もないまま戦後農政の基本だった同法を葬り去った◆ここでおさらい。正式名称「主要農作物種子法」は米、麦、大豆について優良な種子の安定的生産と普及を国の責任とし、都道府県に育種や普及を義務づけた内容。戦後すぐ制定され、米などの安定供給につながった◆種子法廃止は別の法律でこの分野での民間参入を進めることを定めたのとセットだ。タネは食料の元にあるもの。その管理を投げ出すのは国が食料主権を放棄するのと同義だ◆先日同法の復活を求める市民団体に応対した自民党のセンセイは「中身を知らず廃止に賛成した」と述べたそうだ。ナニヲカイワンヤ◆さすがにこれはまずい、と都道府県で独自の種子条例を定めて食料主権を守ろうという動きが出てきたのはうれしい。長野県もわれらが有機農業研究会の働きかけで制定に動き出した。この国を滅亡から救うのは地方の力だ。(第146号・12月10日)


安田純平氏が帰ってきた。三年あまりに及ぶ非人道的な拘束に耐え、堂々と記者会見に臨む姿をネット中継で見てじんときた。非業な最期を遂げるジャーナリストを相次いで見てきただけに、心底うれしい。よく生きて帰ってきてくれた◆安田氏が信濃毎日新聞に入社してきたのは農場主が辞めるちょっと前のこと。当時から戦場ジャーナリストに憧れ、休暇を取って中東取材をしていた◆退社直後のイラク取材報告会で「マスコミが伝えるのは戦況ばかり。僕は戦場での普通の人々の暮らしや、病院での血や膿、消毒薬のにおいをリアルに伝えたい」と話す姿が印象的だった◆あれから十五年。わが日本では、大量破壊兵器の濡れ衣を着せて襲いかかった米国を支持したイラク戦争への反省もなく、相も変わらぬジコセキニンの大合唱が続く◆米国のこんどの標的はイランらしい。かつて日本にそうしたように圧力をかけ暴発を待つのか。日米双方ともトップが恐れるマスコミだが、その真価が問われている。安田氏に続いてほしい。(第145号・11月7日)


フェイスブック中毒かもしれない。家族からも言われる。確かに、スマホなど携帯ツールは持ってないから外出中はネットから遮断されているとはいえ、家に入るとまず無意識にパソコンを立ち上げている◆新聞記者あがり(崩れ?)としては情報発信や意見表明のツールとしてありがたい存在だ。国内外のニュースの進展やその解説を読むのも刺激になる。長いこと会ってない友人の近況も楽しい。知性や教養を感じさせる投稿に出会うとうれしい。最近感心したネタを一つ◆『「売れた売れたな、杉田水脈記事ww」「お前さん、次は何を売るんだい?」「アレにしよう、反証記事」
「反証はおよしよ、おジャンになるよ」ー古今亭新潮45』◆吹き出した。言わずと知れた古典落語「火焔太鼓」の、「半鐘」と「おじゃん」をかけたオチの転用だが、噺家の名前を含め見事な風刺になっている◆政治が右傾化し、忖度が強要される息苦しい世間。ネットくらいこうした息抜きがあってもいいのでは。個人情報の漏れや個人攻撃に気を付けながら。(第144号・10月1日)


縁あってこの夏、宮澤賢治のふるさと岩手県花巻市を訪れた。何度も読み返した童話や詩などの作品はもとより、音楽を愛し、農を愛した生き方は強い共感をを覚える。憧れの街への初訪問だった◆「セロ弾きのゴーシュ」に登場する「金星交響楽団」は演奏会で「第六交響曲」を取り上げる。ベートーベンの「田園」との説が有力で、賢治記念館では賢治が愛聴したSPレコードが展示してあった◆レーベルを見て指揮者の名前にびっくり。その名はハンス・プフィッツナー。19世紀後半から20世紀前半にかけドイツで活躍した保守的な作曲家で、後年ナチスとの親和性を指摘され悲惨な晩年を送る◆難解かつ国粋的な作品とのイメージしかなかったがレコードの黎明期に相当数の録音を遺していることを知った。一部はネット上で聴ける。便利な時代だ◆その「田園」。今から百年近く前の録音は、楽譜を恣意的に改変した今で言う「トンデモ」演奏だった。生演奏でもCDでもいろいろな解釈を楽しめる現代なら賢治の世界はより広がった、かも。(第143号・8月31日)


トシのせいかこの夏は少年時代を振り返ることが多い。先日は中学の東京同窓会に思い切って出かけ、卒業以来三十七年ぶりに変わり果てた(?)旧友と再会した◆部活の仲間やSNSでつながっている人はすぐ分かったが、名前を聞いても最後まで分からなかった奴も。でも話し始めると一気に当時にタイムスリップした◆母の看病で利用した長距離バスの車内ではずっと重松清さんの一連の著作を読みふけっていた。農場主とほぼ同世代の作家で、テーマは一九七〇年代にニュータウンで生まれ育った登場人物の「その後」を扱ったものが多く、強い共感を覚えたからだ◆そんな話をしたら一人の友人から未読の「きよしこ」を薦められた。吃音があった作家の自伝的な少年の成長譚◆驚いた。「これは俺だ」。農場主も当時、教師の体罰を機に吃音になった経験がある。うまく話せないのを友人たちはじっと待ってくれた。鼓膜を破られた体罰の話はみなの格好の酒肴になった。つらい思いも成長と時間が昇華してくれるということか。(第142号・7月30日)

昭和十年に生まれた母は多感な少女時代を戦争とともに過ごしてきた。祖父の仕事の関係で国内を転々とする中、大分では空襲を受けて二歳下の叔母の手を引いて逃げ惑った◆服に火の粉がかかるのを必死で振り払った、という話は子どもの頃から何度も聞かされた。戦後は焼け落ちた実家の跡にバラックを建て、それまで畑仕事などしたことのない地主の嫁だった祖母を助けて懸命に田畑を作り、苦学して大学まで出た◆そんな時代を振り返り、アジア諸国への加害を含む戦争の愚かさや新憲法への共感を常々口にしていた。専業主婦だったのが五十歳を過ぎ、単身中国へ渡って日本語教育のボランティアをしたのには驚いたが、あの時代を生きた贖罪意識もあったのかもしれない◆高度成長期に生を受けた次男は公務員や教員といった親の期待をよそに「つらい」百姓の道を選んだ。当初は母を悲しませたが、次第に理解してくれた◆戦争を知る世代がどんどん亡くなっていく。母たちの思いを、残された者は後世に伝える義務を負う。(第141号・6月18日)

ガマの中での生き地獄のような従軍看護とその後突然の解散宣言、そして死の彷徨。我が娘と同じ年頃の少女たちが味わった塗炭の苦しみに打ちのめされるように展示を見終わり明るい最後の部屋に入ると、窓から百花繚乱の花壇が目に飛び込んできた◆昨年末訪れた沖縄南部・ひめゆり平和祈念資料館。生き残った学徒を中心に沖縄の市民が丹精に作り上げた展示構成に胸を打たれた。就中、中庭の美しく整備された花壇からは、無念に斃れた仲間への鎮魂と、われわれ今に生きる者達への平和のメッセージが強烈に伝わってきた◆続いて訪れた辺野古の美しい浜で、テントでの座り込みを続けている方の話を聞けた。これ以上沖縄に基地はいらないーと地元のおばあたちが懸命に抵抗する中防潮堤の建設が強行され、ジュゴンもすっかり姿を消してしまったそうだ◆旅の最後はお楽しみの美ら海水族館。幸せそうな家族連れがジンベイザメやマンタの迫力ある泳ぎを満喫していた◆沖縄が包含する光と影。これからも遠い地から目を注ぎ続けたい。(第140号・2月2日)
 
◆2017年◆

都会では子どものPTAやマンションの自治会くらいしかイメージがわかないかもしれないが、農村部では次年度の「役」(やく)をめぐって頭を悩ます時期だ◆この地に家を構えて十年。五年前から畑の灌水設備の管理組合の役員をずっと続けているほか、農業共済のとりまとめ役、農家組合(農協の基盤組織)の長、なぜか交通安全協会(安協)の役員などを歴任してきた◆安協は別にしていずれも地域の農業にはなくてはならない仕事。たいていは兼業農家が退職後にやる名誉職のようなものだ。高齢化が進み、地区の農家では若手(五十一歳にして!)の農場主にもおはちが回ってきた◆以前隣村でアパート暮らしをしながら畑に通ってきたころは地区の農家とはほとんど無縁だった。農協へは出荷せず、独り違うやり方で有機農業をやっていたため白眼視されたこともある◆それが地域の役を引き受けることで多くの人と知り合え、お互い助け合うことも増えた。来年は役も減り楽になるがここで得た人脈はなにものにも替えがたく感謝したい。(第139号・12月6日)
 
先の衆院選の話を。雨続きということもあって、連日のように候補者の事務所に通った。はがきを書いたり演説会場でチラシを配ったり、出口の見えないこの国に少しでも光を見いだしたかったからだ◆世襲の自民党議員の強い地区。安倍首相の言いなりでろくに仕事もしないのに多選を続けている。そんな中、野党一本化を呼びかけた市民団体に応えて立ち上がった候補者に託したいと心から思った◆「日本一美しい村連合」に加わる村の前村長さん。式典で日の丸に頭を下げない、安保法制反対のデモで先頭に立つなど型破りながら信念の人と親しみを感じていた◆選挙では代々継いできたタネが遺伝子組み換えなど米国巨大企業の手に握られる危険性を指摘、昨年廃止された種子法に代わる、タネを守る法整備を訴えた。農場主の知る限りそんな「票にならない」(前村長)公約を掲げた候補者はほかにいない◆民進や希望の党のごたごたで一本化は実現せず票が割れ、結果は惨敗。でも多くの心ある仲間と出会えた。得た物が多い選挙だった。(第138号・11月8日)
 
雨が多かった今年の夏。そんな異常気象の影響か、例年と比べて虫たちの発生が少ない。農薬を基準通りに撒いている周囲の農家は気付いていない様子だが、仲間の有機農家も口を揃える◆まずはトマトに付くオオタバコガの幼虫。親の蛾の侵入を防ぐ手立てを取っていない我が農場ではこの時期、いつも二割前後の実に穴を開けられることがあるが今年はわずか。いつもハウスに巣を作る天敵のアシナガバチも少ない◆特に害が出ないキアゲハの幼虫も人参畑であまり見ない。あらゆる苗を植え付けた直後に地際からちょん切るカブラヤガの幼虫(ネキリムシ)も◆虫ではないが、秋の夜長、家の窓ガラスに張り付いて蛾や羽アリをぱくつくアマガエル君も、餌が少ないためか今年はあまり家族を楽しませてくれない◆異常気象のせいと考えていたが、ネオニコチノイド系殺虫剤の影響を指摘する声も聞く。そういえば松本市で松枯れ対策でこの薬剤を空散する計画が持ち上がり反対運動も起きている。虫たちのサインを謙虚に受け止めたい。(第137号・9月9日)
 
若い頃ネパールの山村で過ごした経験からエネルギーの使い方には人一倍敏感な方だと思う。下宿先では大家の小学生の娘が数百メートル離れた水場から汲んできてくれた水を一日バケツ一杯だけもらい、顔や食器を工夫して洗った◆現在の我が家はもちろん水道が引いてあり、基本的に水に困ることはない。太陽温水器やトイレでの雨水利用は叶わなかったが◆石油資源に頼らないようネパール同様にまきの利用も進めている。ペチカに使うのは近くの森で切ってきた間伐材。風呂は知り合いの建設業者から譲り受けた端材や廃材で焚いている。苦労して得た貴重なエネルギー源。煉瓦製のペチカを冷やさない炊き方、気温を見ながら風呂釜に火を入れるタイミングなど効率よく使うコツをだんだんつかんできた◆一方で気になるのが家族の使い方だ。水道を流しっぱなしにしての洗い物には口やかましくなるし、風呂の湯があるのに灯油ボイラーを使ってシャワーしたがる年頃の娘…。実感が伴わないと無理なのか。つい愚痴ってしまいました。(第136号・9月1日)
 
弊農場がある伊那谷は東に南ア、西に中アを望む風光明媚な場所。とりわけ西側の経ヶ岳(2296m)はその扇状地に農場が位置することもあって母なる山、とも言える◆あのセザンヌが愛したサント・ビクトワール山にも似たたおやかな山容は、四季折々さまざまな表情を見せ、畑から見上げるたびに穏やかな気持ちにさせられる◆学生時代山に親しんだ農場主はいつか登ろうと思っていたが、その山裾に暮らしていると登山への憧れが次第に薄れていった。それが最近アラフィフの友人達の相次ぐ山歩きの報告に触れ、この五月、平日に単独で登頂してきた◆往復七時間。途中で足がつり加齢を感じたが代えがたい満足感に包まれ、勢いにのり七月には息子を連れて反対側の南ア・仙丈ヶ岳(3013m)にもアタック。あのアンナプルナ南峰に似た、農場を拓く原点の山の頂きも踏んだ◆遊びが過ぎ、七月に播いた人参が草に負けたりしたが、これからはうまく作業を手抜きしてほかの山にも行ってこようとヒソカに考えてゐる。(第135号・8月4日)
 
昭和一ケタ生まれの父は学者一家の末っ子。戦時中の勤労動員などを経て大学教員になり、一生物理学徒として過ごした。いっぽうで音楽鑑賞や庭いじりを愛し、農場主は小さい頃よく北アルプスなどへ連れて行ってもらった。一族からすると異端児の農場主だが、趣味の世界は確実に受け継いでいる◆山登りに出掛けるときはいつも虫取り網を持参。自転車に二人乗りで遠出したのがきっかけで、自力で乗れるようになると自宅から半径二十キロくらいは行動範囲になり、隣町のため池でサンショウウオを見つけて飼ったことも。生物への興味は農業という仕事にまでつながった◆一方家では常にクラシック音楽のレコードが流れていた。自分でも演奏したくなり、高校でビオラを手にした。今も 一生の友になっている◆当時の時代もあったが、子育てはほぼ母任せだった。自分は父のように距離を置いた子育てはできない。ついいろいろ自分の趣味を提案してしまうが、違う方へ違う方へ向かう。亡父のようにどんと構えた方がよかったのか。(第134号・6月26日)


◆2016年◆


NHKが先頃放映した東京裁判のドラマを興味深く見た。戦勝国による茶番劇とする見方が強いことやインドの判事が全員の無罪を主張したことは知っていたが、開戦時には存在しなかった「平和への罪」の取り扱いを巡って侃々諤々の議論が二年あまりも続いたのは初めて知った◆事後法の適用になるのでは、との懸念は結局曖昧なまま終わり、東条英機元首相ら一部の政治家が絞首刑に処されるが、元首たる天皇の責任は回避。戦後七十年を過ぎた今年、この曖昧さが日本人に突きつけられている◆譲位や女性の扱いを含めた天皇のあり方や、基地を押しつけられた沖縄の植民地的な位置づけをどうするのか◆先の日ロ首脳会談では日米安保の現状が続く限り北方領土問題の進展や平和条約締結はあり得ないことが明らかになった。トランプ新大統領は安保見直しを表明している◆主権国家としての日本が「戦後」を清算するチャンスだ。防衛の在り方も含めて。しかし、アジア軽視、米ロという大国にすり寄るばかりのアベ政治では無理だろう。(第133号・12月19日)
 
最後の音を万感の思いを込めて弾ききると涙が止まらなくなった。目をつぶってこらえていると背中をつつかれ、気がつくと指揮者に起立を要求されていた。小学生以来、久々に一人で立たされるはめになった◆先日の伊那フィル演奏会。子育てやいろいろで大好きな音楽から遠ざかっていた農場主、仲間の誘いで約十年ぶりにステージに乗せてもらった。しかも曲は大好きなエルガーの「エニグマ変奏曲」。興奮しない方がうそだ◆久々にケースを開けた楽器は悲惨だった。ぼろぼろにちぎれていた弓の毛を替え、かびを丁寧にぬぐって秋の雨降りの日に猛練習。なんとか十年前のレベルに戻ったかなと思ったのも束の間、「トップ、やってください」◆二度のソロがある曲。そんなに難しくない静かな曲だ。大丈夫かな、と受けたがいざ本番になると特別の感覚に襲われる。あっという間の二時間のステージだった◆人と人を繋げ、人生を高めてくれる音楽。野菜や虫たちとの会話が多い農場主も、音楽の力の素晴らしさをあらためて感じた。(第132号・11月21日)
 
カタログハウス社の季刊誌「通販生活」を愛読している。環境への負荷が少ないなど良識ある商品の紹介はもとより、身近な社会問題への提言からドイツ平和村支援など幅広い視野での紙面作りに共感するからだ◆今回届いた最新号では、夏号で参院選で野党への投票を呼びかけたことへの読者の批判をまとめ、社の見解を示している。「買い物雑誌が政治的主張を載せるな」に対しては、日々の暮らしに影響を与える政治に口をつぐみたくない、と回答した◆この世界、よくあるのがクレーム対応のまずさ。どこぞの市で自殺した少女が写っていたお祭りの写真のコンテスト入賞を巡って対応が二転三転したこともあったが、自らの行動規範に確固たる意思がないからだろう◆最新号では実名で批判を寄せた読者の数やその主な意見(紙面ではもちろん匿名)も掲載した。戦争や原発、言論圧力、沖縄差別の四つを「まっぴら御免」とし、「こんな『まっぴら』を左翼とおっしゃるのなら左翼でけっこうです」と結んだ。じつに清々しく、見習いたい。(第131号・10月31日)
 
とうとう受験生の親になってしまった。塾なんていったことがない農場主、自分がしてもらったように子どもの勉強を見てやろうと思っていたら、年頃のオトメになりつつある娘から拒否された◆そんなわけで夏休み前から週三回の塾通いがスタート。早めの晩飯を済ませると車で十分あまりの進学塾へ。お迎えは夜十時前ということで、ゆっくり晩酌もできなくなった◆老親の介護、本人の老化、子どもの受験、といろいろ重なるアラフィー世代。家などのローンがないのがせめてもの救いだが、体力的にも経済的にもきついものがある。でも先輩たちが誰しも通ってきた道だ◆そんな中、趣味のオーケストラ活動を久々に再開した。何もかも忘れて音楽に没頭する、至福の時間。演奏する曲が人間への賛歌とも思える「エニグマ変奏曲」というのがたまらない◆人それぞれ茨の道はあるだろう。「その稼ぎでよく遊びに行けるね」など厳しい指摘をいただける家人への感謝の気持ちを忘れず、日々の暮らしの中の音楽活動を楽しみたい。(第130号・9月26日)
 
 
子どもの頃から誕生日が一ヶ月違いの礼宮(現秋篠宮)とよく比較されて嫌だった。学生時代は周囲に影響されて先代のことを「天ちゃん」と呼んでいた。現天皇に代わった時は、病弱そうで何年もつかなあと思った◆ずっと抵抗を感じていた皇室への印象は平成になってからずいぶんよくなった。被災地を足繁く訪問したり、父の戦争責任を背負って慰霊と反省の旅を続けたり。なにより平和憲法を守ろうと訴え続けた姿勢に共感し、ある日「天皇陛下」と口にした自分に気づき驚いた◆生前退位に関するごたごたは、戦後日本があいまいにしてきた問題を一気に噴出させた◆象徴天皇制への疑問は、一番がその非人道性にある。退位も含め職業選択の自由がなく、明白な男女差別にさらされる彼らは、憲法に守られる国民なのかあいまいな存在だ◆軍隊かそうでないのか、あいまいなのは自衛隊も同じだ。明快さを求める改憲を、という考えはあろう。でもなぜあいまいさをこれまで続けてきたかを含め、いま真剣に憲法を考える潮時に来ている。(第129号・9月2日)
 
英国やアメリカの動きに加え、参院選や都知事選の様子を見ていると、日本や世界がどんどん内向きに閉じこもりつつあるような感覚に襲われる。独善的、排他的でぎすぎすした世界になっていくのだろうか◆そんな中、トランプ氏のTPP撤退論は一つの光明に思える。日本などからの輸入が増え、国内産業がダメージを受けるというのが理由のようだ◆日本は相変わらず参加したがっているが、肝心の米国が抜ければ体をなさなくなる。自由貿易という名の下で各国の農業や文化の多様性を失い、自民党もかつて「反対」と明言していたTPPという魔物≠ェいなくなるのがにわかに現実味を帯びてきた◆とはいえ輸出大国でもある米国や日本で自由貿易を求める声はなくならないだろう。他力本願や米国の属州のような発想ではない、この国のあり方を考えなおす政治であってほしい◆憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」し「圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努め」ることをあらためて誓いたい。(第128号・7月27日)
 
近年のSNSの浸透ぶりはすさまじい。世界中に散らばっている昔の仲間と世間話をすることができると思えば、リアル再会につながることもある◆この半年、十―二十代のころの友人との多くの再会があった。そんな中、協力隊時代のネパールでの仲間が駒ヶ根の訓練所長に凱旋≠オたため、昔の仲間に呼びかけ、小さなパーティーも開けた◆SNSはもとより電話もなかったネパールの山村では毎日のように手紙を書いていた。徒歩の郵便配達人が町まで往復し、遠い国から返事が来るのは速くて一ヶ月後。その間には次の手紙を出していて、互いに通し番号を振った返事とのタイムラグを楽しんだりしたものだ◆最近はSNSのおかげで隊員同士の恋愛もスピードアップし、中には二年の任期を全うできなくなる輩もいるとか◆SNSでは知りたくない情報も入ってくる。尊敬していた恩師がバリバリのネット右翼になっていたのを知ったときはかなしかった。とはいえ基本的には人と人をつなぐ大切なツール、うまくつきあっていきたい。(第127号・6月20日)

◆2015年◆


農場主は子どものころまあまあ勉強ができた方だった。でも神童モーツアルトが五歳で作曲を始めたと聞き、僕には無理だなと思った◆彼が亡くなった三十五歳を迎えたときはちょうど就農したころだったが、まだ何も世に残していないな、と思った。ジョン・レノンが殺された年を過ぎたときはおれはなんたる凡人かとため息が出た◆同世代の有名人には親しみを覚える。相撲の力士が早く引退しても野球選手はまだまだ現役。そんな中、今年同い年の中日の山本昌投手が引退し、セリーグの監督がすべて年下になってしまった◆農場主はこの年末で五十歳になる。無我夢中で生きてきて気がついたらこんな歳だ。もう若くはない。二人の子どもはもちろんのこと、若い世代にいろんなことを引き継いでいく責任を強く感じる◆孔子先生は「五十にして天命を知る」と言ったそうだ。そんなことはとうにわかっている。間違いなく農業を基盤とする世界平和の実現だ。それをどう広げればいいのか、半世紀を生きてきた農場主の人生が問われている。(第126号・12月23日)
 
中学生の娘に聞かれた。「問題です。三大テノールを答えなさい」―。「何それ?」「音楽の期末テストに出る」―。唖然とした◆「音楽のテスト」には以前もバッハだかシューベルトだかの生誕地を答える問題が出ている。国ならともかく、村の名前を覚えてどうするのか。世紀の変わり目のたかだか十数年、音楽業界をにぎわせた社会現象は中学生が覚えるべきことがらなのか◆クラシック音楽のこうした知識優先の教育が子どもの音楽離れを進ませている。音楽とはほんらい自発的な表現で、楽しむことから始まり芸術へと昇華させることもできる。忙しい中学生をこんなことで悩ませるなんてじつにもったいない◆農場主は中学生のころの音楽の先生が好きだった。テストはあの「運命交響曲」の出だしを異なる指揮者の演奏で聞かせ、印象を書かせるといったものばかり。採点には苦労されたと思うが、音楽の奥深さを知った◆「俺の名前も書かなきゃなのかい?」。パバロッティ氏のあの世からの高笑いが聞こえそうだ。(第125号・11月25日)
 
戦後の高度成長期に各地に林立したニュータウン。そこで生まれた農場主は公務員の家庭で典型的な消費者として育った。百姓になったいま、たまに帰省すると何十階建てのマンションに暮らす 都会の人々とのある種隔絶感を覚えることがある◆農場主誕生前年の昭和三十九年、木材輸入が完全自由化される。安い外材が宅地建設を後支えし、日本の山に手が入らなくなった。間伐が遅れ、土砂災害が頻発する一方、東南アジアでは熱帯雨林が乱伐され、人々の暮らしを奪ってきた◆それから半世紀。今度はTPPと言う名の農業自由化である。マスコミは「いろいろ安くなる」など景気浮揚効果ばかり喧伝する。その先にあるものが見えていない◆農家の高齢化が進んだいま、農業の自由化は農村の死を決定づける。首相は「国民を守る」という言葉が好きなようだが、食料供給を海外に頼る国に真の安全保障はない◆田舎の百姓には、この国がいかに消費者の論理で回ってきたかがよく見える。幻のような、砂上の楼閣はどこへ行くのか。(第124号・10月28日)


若いころ暮らしたネパールの山村で、食料供給を海外に頼る日本のいびつさに気づき、前世紀の終わりに有機農業を始めた。まもなく9・11事件が起き、世界で憎悪の連鎖が始まった時、初めて人の親になった。我が子には祈りと自覚を込めて「真の平和」という意味の名をつけた◆そして今、国際協調とは謳い文句だけで真反対の戦争法が可決した。脅威を煽り、軍事力による抑止力を高めるという、人類が刻んできた愚かな歴史をまた繰り返す◆日露戦争の非戦論者だった内村鑑三は「デンマルク国の話」の中で、戦争で疲弊した同国が植林や農地開発で立ち直った例を紹介する。「国の大なるは決して誇るに足りません。富は、有利化されたエネルギーにあります」◆日本は戦後、農業を放棄して第二次、三次産業で経済的な豊かさは得た。でもそのうえで軍事力を強化し、大きな国を目指すのはどうだろうか◆ため息をついている場合ではない。いまの暮らしを見つめ直し、この国のありかたを考えなおすチャンスを与えられたのではないか。(第123号・9月28日)

前号でお伝え
したメダカの話をもうすこし。その後も卵を産み続けて現在百匹以上の子メダカが水槽の中をぴちゃぴちゃ泳ぎ回っている◆カエルやトンボとともに、人間の稲作とともに命をつないできたメダカ。その飼い方は本などには「砂利を敷いてくみ置きの水を入れ、水草と空気ポンプを…」などとおしゃれなことを書いているが、我が家では田んぼの再現を心がけている◆泥を草ごと取ってきて水を入れ、澄んだところで魚を投入。イトミミズや微生物がいっぱいいるので餌をほとんどやらなくてもすくすく育ってくれる◆メダカを飼いながら思わぬ発見も。難防除雑草としてしられるコナギは土から離れて水に浮いているとすぐに腐ってしまうが、ヒエやクログワイは浮いたまんまで平気。ヒメミソハギも丈夫なので卵を産ませるのに最適…などなど◆カエルやトンボと違ってメダカが田んぼから姿を消したのは農薬や構造改善のせいだろう。田んぼとため池を往復して生きてきたメダカの視点からは、まだまだ学ぶことがありそうだ。(第122号・8月28日)
 

「酒止めようか
どの本能と遊ぼうか」。大正生まれの俳人金子兜太さんが七十歳を迎えるころに詠んだ一句。著書の題名にもなり、豪快で骨太な人柄を表して微笑ましい◆そんな金子さんは先の大戦でトラック島で部下を率いて戦った。「水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る」。多勢に無勢、餓死者が続出し、無謀な手榴弾の実験で部下を失った経験がこの句を生んだ◆中学生だった二・二六事件から終戦までたった九年。右向け右で流されやすい国民性に金子さんは警告を出し続けている。さいたま市で憲法九条を守るデモを詠んだ俳句が公民館報への掲載を拒否される事件に対して「言葉狩り」と舌鋒鋭く批判する◆九・一一テロで詠んだ「危し秋天報復論に自省乏し」は今の日本に通じる。「海に青雲(あおぐも)生き死に言わず生きんとのみ」。生き残ったものは、二度と戦争の過ちを繰り返してはいけない◆「アベ政治を許さない」。金子さんが今回筆を執った渾身のポスター、農場主も自宅の道路際に立てた。思いを、共有するために。(第121号・7月24日)
 
この国はいつから「戦争」が日常的に語られるようになっただろうか。「他国から攻撃を受けたら」といった発言が国会で飛び交い、新聞の一面にそうした文字が躍るのを見るにつけ、やり場のない怒りに震える◆一昨年の参院選で大勝した安倍首相が悲願の「強い国」を目指していろいろ画策してきた結果だ。法案が違憲であっても現状では多数をたのんで強行採決することも可能だ。法案を通したいのならまず憲法九条を変えるのが筋だが、それが無理とみてのごり押しだ◆「攻撃されるかも」がエスカレートすると戦争になることは歴史が証明している。現にすでに周辺国に余計な緊張を強いることになっている。あのヒトラーの右腕ゲーリングの言葉を今一度かみしめたい◆「国民は意見を述べようと述べまいと指導者の意のままだ。戦争を始めるのは簡単なことだ。自分達が外国から攻撃されていると説明すればいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ」(第120号・6月15日)
 
先日、市農政課から電話。昨年二月の大雪で潰したハウスの再建に対する補助金申請に関することだった。「再建費用が安すぎるんですが」◆「は?」と聞き返してしまった。三棟計百坪ほどの再建に購入した資材は八万円少し。どうやら通常は農協に頼んだりして一桁違うようだ◆農場主は出費を抑えようと奮闘した。曲がっても使えそうなパイプは万力などで元の形に戻し、ミニコミ誌で呼びかけて古いハウスを譲ってもらい、隣村まで通って解体、運搬まで一人でやった。その人件費は当然、ただだ◆日本の農業は補助金漬け、と巷間よく聞く。実際、農協の「指導」のもと、補助金で建てたハウスで指定された作物を栽培し、指定された農薬と化学肥料を「適正に」使って出荷して、とか、あるいは減反に協力して補助金目当てで飼料用米を作る、なんて話はそこらに転がっている◆誰かを儲けさせるためでなく、真に農家のためになる補助金行政なのか。無駄な出費はないのか。自主性を失った農家を批判する前に、議論すべきことは多そうだ。(第119号・2月9日)

◆2014年◆

大きな選挙が
あるたびに古巣の新聞社から出口調査などのアルバイトを頼まれる。いろんな人に声をかけ、話をするのは好きだし、何より実入りがいいので毎回できるだけ受けるようにしている◆「誰に投票したか」「投票の決め手となった政策はなにか」といったいつもの内容だが、だんだん憂鬱になってきた◆「ちょっと頼まれたもので」「誰がなっても同じなら今のままでいい」「原発には反対だけど地元だしいい人だから」―。無批判に現職(二世の自民党議員)に投票する人がいかに多いことか◆ここで自分の考えを伝えて議論になったらバイトは確実にクビだ。ぺこぺこ頭を下げつつはらわたが煮えくりかえる思いだった。こういう人と、有権者の半数近くに及んだ投票棄権の人たち、そして日本をひたすら美化したい人たちが安倍政権を支えている◆選挙が終わったところで今度は「リニア着工」のニュースが飛び込んできた。この国はいったいどこへ行ってしまうのか。これからも「モノもの申す百姓」であり続けたいのだが。(第118号・12月19日)
 
この男の頭の中身はどうなっているのか。消費増税に関する信を問う、という解散である。国の根幹を揺るがす決定を積み重ねてきた男が、そんな些細なことで選挙に打って出た◆官房長官は集団的自衛権容認や特定秘密保護法は争点にならない、とうそぶいた。国民もばかにされたものだ。好戦的な政策決定は以前のことと水に流し、身近な消費税のことだけ考えていればいい、とでも言うのか◆政治的な発言を繰り返していると、「だったら選挙に出れば」という人がいる。そんな暇はない。安全な食や自然環境を守りながら子育てをする、普通の暮らしを一番大切に考えているからだ◆そもそも選挙にでなければ政治の話ができないというのがおかしい。どうせなにも変わらない、投票する人がいない、などあきらめモードの人はあの原発事故を生んだ「不作為の責任」を考えるべきだ◆本当は農場主も好きな音楽や畑の話だけしていたい。でも権力者にすり寄る「地元のセンセイ」がまた選ばれるのかと思うとぞっとするものですから、つい。(第117号・11月24日)
 
パキスタンの女子学生マララさんがノーベル賞を受賞した。「ペンは剣より尊い」「女子にも教育を」といった訴えは受け入れやすく、加害者側のイスラム原理主義者への非難が強まっている◆加えてイラクなどの「イスラム国」も凄惨な処刑などが強調され、「何だか理解不能な暴力集団のイスラム過激派」といったイメージが喧伝されている◆でも、農場主は違和感をぬぐえないでいる。そんな中、タリバン幹部によるマララさんへの手紙というのがネット上でも公開され、読んでみた◆「今回のようなことは起こってほしくなかった」と前置きしたうえで彼は言う。「あなたが世界に向けて語りかけている場所、そこは新世界秩序を目指すものだ。しかし旧世界秩序の何が間違っているというのだ?」と◆グローバリズムの名の下、欧米式の教育に席捲され民族固有の文化が埋没する危険性を訴える内容だった。農場主も純粋なマララを批判したりタリバンを称揚しているわけではない。ただ必要以上に彼女を持ち上げるのはどうだろうか。(第116号・10月24日)
 
久しぶりにぬか床を作った。自家製米ぬかと塩をベースに、昆布や唐辛子、にんにくなどを入れて朝晩かき回している。食卓にはキュウリやナス、ニンジンのぬか漬けが必ず並ぶ◆以前の朝ドラ「ごちそうさん」で名脇役となっていた。主人公の祖母から引き継がれたそれは、魔法のように野菜たちの味を引き出す。そんな漬け物を作りたかった◆上方落語の古典噺「一人酒盛り」には、いい酒が手に入ったーと友人を招いたのにひたすら一人で酒を飲む身勝手な男が登場する。その中で、つまみとして台所からナスの古漬けを持って来させるシーンがある。六代目松鶴は本当にうまそうに演じたものだ◆そんな背景から始めたぬか漬け。ズッキーニが意外にいけたり、キュウリの漬け時間が難しいことなど楽しい発見が多い。家族はほとんど食べてくれないが◆一般的にはぬか床は母から娘へ引き継がれるという。父ちゃんが作り始めたぬか床、「ごちそうさん」のように我が子が引き継いで、あの世へ行ってからも心の対話をしてくれるだろうか(涙)。(第115号・9月19日)
 
二年連続で子どもの小学校でPTA役員を務めている。加えて地区の農業共済委員に土地改良区役員・・・。高齢化が進む農村でバリバリの「若手」である五十前の農場主にはいろいろ仕事が降ってくる◆当初は「やらされ感」が強かった。でも飲み会などを通じて仲良くなっていくにつれ、楽しみも見いだしている自分を発見した。PTAで地区行事を仕切って子どもの笑顔に触れるのはちょっとした快感にも◆通学路に関する要望を出したら危険箇所に黄色い旗を出してくれたり、歩道の設置の検討も始まった。土地改良区では小水力発電の提案もしてみた◆どれも仕事や家族との時間を割かれるボランティア。慣例的で必要ない役職も無いわけではないが、誰かがやらないと地方自治は始まらない◆こういった話をすると「税金を払っているのだから行政が全部やるべき」という人が必ずいる。お金持ちに多い。でもできる範囲での助け合いがなくなれば、ますます政治が遠くなる。結果、今の暴走$ュ権につながったといえば極論だろうか(第114号・8月13日)
 
安倍政権の暴走が止まらない。二つの国政選挙で大勝してしばらく猫をかぶっていたが、特定秘密保護法の強行採決に続いて今度は憲法解釈の大幅ねじまげを実現した。次は拉致問題で訪朝して支持率回復を狙う気だろう◆首相は集団的自衛権の容認は選挙公約だとし、国民の信を得たと強調している。こっそりとした公約だったが、そこを見抜けず自民党を大勝させた国民とマスコミの責任は重い◆かつてのナチスが選挙で勢力を伸ばしてヒットラーの独裁を招いたことがいやでも思い起こされる。実際首相の片腕以上の存在である麻生副総理はナチスの手法にならいたい、と明言している◆「歴史は二度繰り返される。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」と述べたマルクスの真意は奈辺にあったか。生きていれば二番煎じを試みる東洋のお坊ちゃま宰相を呵々大笑するかもしれない◆少し前は毎年夏になると首相が替わっていた。選挙がないのを良いことにやりたい放題の現政権。これが喜劇として早く幕を引いてほしいものだ。(第113号・7月23日)

ケータイというものを持ったことがない。いわんやスマホやタブレットなどももちろん。よく「なんで?」と驚かれる。固定電話とパソコンがあれば十分だ◆こっちが聞きたい。「そんなに必要なのか」と。最近スマホを買った知人が「ちょっと時間が空くとすぐ見てしまう」とぼやいていた。時間の無駄、とも。先日出かけた東京の山手線で向かいに座った老若男女がずらりとスマホを開いているのは壮観だった◆急を要することがそれほどない、というのが一番の理由だけど、農家仲間でも大半が持っている。かの「時間泥棒」に「持たされて」いるのかもしれない◆「首にひもをつけられている」うえ、当然通話料がかさむ。電磁波(高周波)による体調不良に悩んでいる人もいる。農的暮らしにおいて良いことはほとんどないのだ◆ただ公衆電話が激減しているのは困る。駅にもほとんどなく、実家に帰る際に連絡が取れない。災害時につながりやすいのも公衆電話の特徴だ。電気や水道同様、必要なインフラとしてきちんと整備してほしい。(第112号・6月12日)

◆2013年◆
 
 
大晦日の大掃除の最中、悪寒が走った。頭がくらくらして掃除途中の部屋に布団を敷き、家族が紅白やダウンタウンに興じている間は三九度の高熱にうなされていた◆最悪の年越し。幼い頃、熱を出す度に見ていた悪夢を久しぶりに見てー幸い初夢とは言わないそうだがー、元旦の午後になってようやく布団から這い出して来た◆一年分の疲れが出たのだろう。でもおかげで快復後はすっきり。最近はやりのデトックス(解毒)という言葉には胡散臭さもあるが、今回は精神的な毒物が全部出た気がした◆悪夢といえば安倍首相の一連の言動は戦争に突き進んでいたころの日本を想起させる。参院選で大勝し、お墨付きをもらったと捉えたか。「強い日本を」との願いからだろう。一見筋が通っている◆でも真の強さとはこわもてのやくざのそれとは違う。このままだと憲法で高らかにうたった「国際社会で名誉ある地位」を失いかねない。今度は国の「解毒」をする番だ。地方から地道に声を上げていく一年にしたい。東京や沖縄の選挙にも注目だ。(第111号・1月13日)
 
星空の美しい季節になった。就寝前、外に出ると寒気のもと満天の星にしばし我を忘れる。天の川を駆けるはくちょう座、オリオンの三つ星ー。コンビニの明かりが少し恨めしいが◆子どもの星空観察会に参加したときの講師の話が忘れられない。「太陽は今後膨張して地球を飲み込み、数十億年後には地球は滅亡します」というのだ◆僕が日々心を砕いている「後世にツケを残さない生き方」とは、人生の意味とは―。人生の折り返し点をたぶん過ぎたいま、考え直してみる◆いや、これでいいのだ(バカボンの父ふうに)。生の営みとして食べるものを生産して子育てをしながら、他のなりわいに生きるこの社会の仲間たちと食べ物を分かち合う。ちっぽけな人間でもそうやって精一杯生きていく、それでいいんじゃないだろうか◆他方で生の営みとはかけ離れた「国家」を守るために汲々としている人達がいる。TPP然り、特別秘密保護法然り。昔の人は良いことを言った。「お天道様が見ているよ」。この言葉をもう一度噛みしめたい。(第110号・11月29日)

七年後
、 東京でオリンピックだそうだ。やめときゃいいのに招致して、首相まで出かけていって「フクシマは完全にコントロールされている」なんて大嘘をついて実現にこぎ着けた。お祝いムードを強要する向きもあるようだが、フェアでない◆十五年前の長野は確かにバブル景気に沸いていた。新幹線が通り、「国際交流」なんて言葉がマスコミを賑わした。農場主自身、当時は記者としてその一翼を担った。嵐が去った後の空虚感は記憶に新しい◆冬季五輪は装備や施設に金がかかる競技が多く、出場するのも多くが「北」の豊かな国々。真の国際交流とはほど遠かった。その点夏はまだましだが、すべての国のスポーツを愛する人々に参加機会が開かれているとはとても言えない◆感動的な真剣勝負が国内で見られるのはいいだろう。でもそのためにリニア新幹線を作ったり原発を再稼働させたり、巨額の税金を投入するのはいかがなものか◆この国はどこへ行ってしまうのか。鼻先に人参をぶらさげて走り続けるのはもうやめませんか。(第109号・10月21日)
 
何年ぶりかに朝ドラにはまっている。岩手を主舞台にした「あまちゃん」。小泉今日子をはじめ出演者の多くが農場主と同世代ないし同い年ということが共感を覚える◆夏休み前から見始めたら子ども達ものめり込み、二学期の現在も録画させられている。大人は登場人物の心情を忖度したり不条理な話の流れにツッコミを入れ、子どもは細かいギャグに喜んだりと家族で楽しめるのがいい。要諦で流れる宮澤賢治の「星めぐりの歌」も胸に迫る◆あの「3・11」が近づくにつれて見る側も緊張を強いられた。当日。津波の描写は最低限に抑えられ、心配していた登場人物の死亡もなかった。脚本したクドカンの優しさを感じた◆東京生まれなのにばりばり岩手弁になったヒロインが大女優に向かって「大したもんだ」と繰り返すのが気になった。ふてぶてしい態度だと思っていたら、あるコラムで「大したもの」は岩手では目上に対する率直な尊敬の念を表す言葉と知った◆説明がないと分からないが、そんな奥深さもいい。まもなく大団円だ。(第108号・9月6日)
 
農場主の好きなラジオ番組に「世界の快適音楽セレクション」がある。土曜の午前の放送を録音して出荷作業中に楽しんでいる◆毎回「○○の音楽」とテーマを決めて幅広いジャンルの音楽を流すのだけど、最近の「勤労意欲減退の音楽」は面白かった。仕事をするのが嫌になるようなふんわりしたり眠くなるような曲が続いた◆進行役のギターデュオのゴンチチが「こういう曲を聞いて何もしたくなくなると逆に大切なことを考えたりしますよね」とコメント。そうだな、音楽にはそんな力があるなあと大きく頷いてしまった◆以前は市民オーケストラにビオラを抱えて出かけていた農場主もここ数年は多忙によりご無沙汰だ。でも作業中に携帯音楽プレーヤーは欠かせないし、先日は久々にコンサートにも出かけた。ちなみにアクの強い指揮者とロシアのオケによる「悲愴」は不思議な演奏で、オケの力強さだけが印象に残ったが◆「世界の―」が始まったのは弊農場を設立した年。共感を覚えつつ、また音楽をやりたいと強く感じる今日この頃だ。(第107号・8月2日)
 
我が家に新しい家族がやってきました。黒柴の赤ちゃん(♀)です。近くのブリーダーさんから譲ってもらいました。ちっちゃくてかわいい。では自己紹介をお願いします◆はじめまして。小春(こはる)です。六年生のお姉ちゃんが名前を考えてくれました。保育園のころから動物が大好きで、お父さんはしょっちゅう近くの直売所で飼っているヤギのところに連れて行かれたそうです◆お父さんもお姉ちゃんもずっと犬を飼いたかったとか。お祭りの屋台ですくった金魚を大切に飼ってきた実績が認められて私に白羽の矢が当たったそうです◆まだ予防接種が終わっていないので玄関の中で暮しているけれど、外が大好き。たんぽぽとじゃれたり穴を掘ったり、野良猫や散歩の人に吠えかかったり、パワー全開で走り回っています◆お父さんは「雑草を取れ、米倉のネズミを捕まえろ」などと言いますが、猫じゃないんだしい。健康診断でメタボと言われたお父さんを散歩に連れ出してお腹を引っ込めさせるくらいならできるかな。どうぞよろしく。(第106号・6月3日)
年の瀬、十数年ぶりに東京へ出かけた。青年海外協力隊ネパール隊員との同期会。日帰り日程だったが久々の東京だった◆せっかくなので早めに出かけ、脱原発デモには参加できないものの、行きたかった経産省前のテント広場には顔を出して激励とわずかながらのカンパをしてきた◆同期で一番若く、当時二十代前半だった農場主。一回り近く上の人生の先輩たちは悩み事の相談にのるなど仲間として付き合ってくれた。関係は今も変わらず、家族の話などで大いに盛り上がった◆ところで年末の衆院選、原発推進の自民党が大勝した。新聞社のバイトで出口調査をした際、知り合いが自民党に投票したと知って愕然としたが、身近な人と政治についてあまり話さなかったことがこの結果につながったと反省した◆同期の仲間とは久々に会ったというのに自然に生活の延長としての政治の話ができた。僕らが住みやすい社会は、後々の世代にも安心して引き継げる。自分から壁を作らず、同期隊員と同様につきあえるような仲間を増やしたい、と思った。(1月16日・第105号)
◆2012年◆ 
「脱原発」が連日新聞の一面に躍る。どの政党も原発をやめようと訴える。一昔からすると夢のような話。原発が争点になるなんて◆3・11で我に返った農場主は直後に行われた県議会選挙で生まれて初めて選挙の手伝いに参加した。脱原発を訴える候補を当選させたかったから。でもフクシマから遠い長野県では当時まだまだ意識は低く、主張は浸透しなかった◆大飯原発再稼働に反対する官邸前デモを無視し続けたマスコミも、七月ころから雪崩をうったように大きく報道するようになった。知人の関係者に聞いたら「他紙が書いたから」◆そんな調子で、かつては横並びで原発推進だったマスコミの論調も一部保守系紙を除いて一変。今回の選挙も各党こぞって「脱原発」「卒原発」だ。違いは何だろう◆高望みをせず、地に足をつけた人の営みに原発はそぐわない。ただ作ってしまった責任上、一定の研究は続けて欲しいとも思う。選挙目当ての口先や感情論ではなく、本気で流れを変える意識と能力がある人を選びたい。(12月3日・第104号)
 
「夢の国」なんだそうだ。子ども達と初めて出かけた東京ディズニーランド。弁当の持ち込みなどをチェックする理由は「中に日常を持ち込まない」ため。じゃあケータイなんかも禁止すればいいのに◆ハロウィーンで賑わう園内。親子連れやカップルなど笑顔があふれる。長引く不況や放射能のことなんかどこ吹く風。土産売り場はどこも大行列で、財布の紐はみんなゆるゆるだ。もちろん愚息もいろんな乗り物に大喜び◆人形の仕掛けはよくできているし、パレードの振り付けなどは秀逸。スタッフのホスピタリティも一流だ。でも子どもに連れ回されながら、だんだん胸の中にいがいがのようなものがたまってきた◆「夢」って誰の夢? アメリカンドリーム? 大量生産・大量消費、グローバルスタンダード…。そんな言葉で批判し片付けるのは簡単だけど、集団催眠のような人波を見ていると根は深そうだ◆僕の夢はこんなんじゃない。押しつけられる怖さもあって、単純には楽しめない。へそ曲がりの農場主には苦痛の一日だった。(10月29日・第103号)
農場主も所属する長野県有機農業研究会では十一月二十四日、原発や電磁波など環境問題をめぐるマスコミ報道の在り方を考える座談会を南箕輪村で開く◆講師は、原発報道を巡り上層部の圧力を受けて辞職した元テレビ局ディレクターと、大手マスコミが全く報道しない電磁波問題を週刊誌で取り上げ続けている気鋭の女性ジャーナリスト。どんな話が聞けるのかわくわくする◆かつて農場主も身を置いていた業界。「真実に迫り権力と闘う」半面、「第三の権力」として危うい面も多々あった。長野冬季五輪の時は祝賀ムードに水を差すような記事は自粛◆環境ホルモンが話題になると雪崩を打ったように針小棒大の記事を垂れ流す。何を隠そうこの私もその先頭を切っていた。警察関係などで特ダネをもらうと他の重要なニュースを抑えてトップ記事になるが、自己満足以外のなにものでもない◆原発報道も玉石混淆。子を持つ親として、将来のため報道を読み解く力を磨きたい。座談会がその一助になればと思う。詳しくは弊農場ブログで(第102号・9月24日)
 
ポリマルチを張りめぐらし熱心に除草剤を撒き、こまめに土手草刈りをする近所の畑と、弊農場の違いは一目瞭然。そう、畑に草があるかどうか◆動物たちもその辺を察知するのか、安心して集まってくる。トマトハウスは蜂の巣だらけ(危ないな!)だし、ピーマン畑ではヒバリが子育てに余念がない◆しかあし。農場主もたまには草取りをする。気付かず前進し、目の前でヒバリが飛びたつと腰が抜けそうになる。まあ這いつくばっているので腰が抜けても大丈夫だが◆昔は気にして一匹ずつ取っていたモンシロチョウの青虫も見て見ぬふり。ハチなどの天敵がいて大量発生はあまりないし、出荷時にチェックすればいいから。ただ、田んぼの畦で初めて蛇を草刈り機でちょん切ってしまった時は悲しかった◆腹から卵がにょろにょろ。これから生むところだったのか。二重に申し訳ない気分になった。一方で巣の周りだけ草を残してやったヒバリは元気に巣立ち、我が家で二カ所目の巣を作ったツバメの子たちも巣立ち間近だ。みんな元気で。(第101号・8月3日)
 
「べこ(牛)はどうするんだべ」ー。福島弁のだみ声が、静まりかえった会場に響き渡る。農場主も実行委員として先月末開催した、福島・飯舘村の酪農家長谷川健一さんの講演会。原発事故で牛を置いて避難を余儀なくされた生々しい話は参加者の胸を深くえぐった◆屠殺される牛との別れや、餓死した牛を放逐された豚が食った壮絶な写真が心に残る。でも情緒的な話だけではない事実も知らされた◆イメージ先行の除染作業は「ほとんど税金の無駄でゼネコンの懐を肥やすだけ」。モニタリングポストの直下を集中除染して公表線量を低く見せるなど「村に帰れるという雰囲気作りをいたずらに進めている」国や自治体への強烈な批判も◆農作業の合間を縫って懸命に各方面に声をかけたが、参加者は百人足らず。原発の安全宣言や除染のアピールなど、ともすれば「フクシマ」が早くも風化しつつあることを懸念する長谷川さんの言葉が現実味を帯びた◆講演後、力不足を詫びるとともに、事故を風化させない努力を続けることを誓った。(第100号・6月11日)
 
昨年末、突然宮城県北部の米農家から宅配便が届いた。差出人に見覚えが。そう、昨年の震災直後に自分の米倉を開放し、津波で壊滅的な打撃を受けた地区へ献身的な炊き出しを続けたSさん。二十年来の有機農家だ◆訝しがりながら開梱するとたくさんの新米とともに「ありがとう」の手紙が。活動に共感してわずかばかりのお米を届けたお礼とのこと。歯を食いしばって米作りを続けたSさんの心中を察して複雑な気持ちになった◆放射能が気になるからだ。失礼ながらうかがうと、Sさんのお米からも七―一五ベクレルほど出ているそうだ。大人なら心配ない数値。買ってでも食べて支援しないといけないとも思う◆でも、ありがたく食べられない。うちに米はあるし、子どもと食事を別にできないなど言い訳はあるけれども、それ以前に自身の身が引けていることを実感した◆被災地支援なんてうわべだけ。これなら無知な風評被害そのものだ。未開封のまま玄関に置かれているその美味しそうなお米を見るたび、心が締め付けられる。(第99号・1月30日)
 
◆2011年◆

今年もあとわずか。農作業のシーズン入りと同時に起こった東日本大震災は、直接、間接的に多くの人の生き方を変えてしまったのではないだろうか◆農場主も原発を消極的ながら容認してきたこれまでの生き方を見直すことになった。まずは家のアンペアダウンをして電気の無駄遣いをやめた。そして浜岡原発を止める署名や選挙応援活動、市議会への働きかけも◆そうした運動への関わりを経て友人も増えた。あまり縁がなかった福島や東北にも知人の輪が広がった。震災はとても悲しい出来事だっったけれど、かけがえのない出会いを得られた◆十六年前の神戸の地震では生まれ育った地の変わりように驚き、悲しんだ。今回は目に見える影響はなかったけれど、放射能という目に見えない恐怖と向かい合うことになった◆有機農業は、農薬や化学肥料を使わないという意味だけではない。人と人との有機的なつながりを大切にする、いわば市民運動そのものだということを実感した。新しい年、その広がりが草の根に及ぶことを願う。(第98号・12月19日)
 
今度の首相はよほどアメリカがお好きなようだ。あれほど多くの人が反対している普天間基地の移設、そしてTPPへの参加。いったいどこを向いて政治をしているのだろう◆「貿易自由化」「トモダチ作戦」などマスコミには舌触りの良い言葉が乱立する。だまされてはいけない。「自由」とは誰のものなのか。「トモダチ」がどういう付き合いを望んでいるのか、見極める必要がある◆TPPの問題でいえば、ほとんど報道されない輸出補助金のからくりが無視できない。「アメリカは国土が広く大規模農業だから農産物が安く提供できる」といったお気楽な考えの人がいかに多いことか。マスコミの洗脳である◆先進諸国は莫大な補助金を商社に与えて「自由化」の名のもと余った農産物を海外に売りつけた結果、途上国では飢餓や貧困、農業崩壊が進んできた。食糧自給はすべての人類の基本的権利だと思うが◆農場主は就農時に一時金をもらって以降、一切補助金のお世話になっていない。野田さんももう一度考え直してみたらどうですか?(第97号・11月11日)
 
稲刈り後の田んぼで、大量の小ブナがひからびていた。七月中旬まで連日草取りをしていた時には気付かなかった。おそらく台風に伴う大雨で流されたフナが田んぼに入ってきたのだろう。お盆明けには水尻を切ったので水はたまらない◆除草剤も農薬も使わない田んぼはタイコウチやミズカマキリ、コオイムシなど「ただの虫」(@宇根豊氏)の宝庫。でも農場主が子どものころ見たようなメダカやフナ、ドジョウなどの魚類はうちの田んぼでは皆無だった◆宇根さんの説明ではメダカなどの魚類は夏の間田んぼで暮らし、豊富なプランクトンを食べて繁殖し、水を抜く頃用水路を通ってため池に移動する(していた)。でも田と水路に高低差をつける「乾田化」が進み、田んぼに魚は住めなくなっていったという◆稲の育苗用プールでも初夏、たくさんのオタマジャクシが孵った。こちらは大切に引き上げて育てている。冬が近づきどうしようかと悩んでいるが◆生き物と共生できる農業をしたい。田んぼはもっと改良の余地がありそうだと感じた。(第96号・10月12日)
 
単調な畑仕事の時はたいていイヤホンで音楽やラジオを聴いている。ローカルラジオ局の他愛のない茶飲み話も楽しいが、飽きると音楽になる◆以前は八十分のMDプレーヤーを当たり前に使っていたが、MP3プレーヤーを使ってみて驚いた。CDにして五枚分くらいは入る。一日聴きっぱなしも可能だ◆農場主は何をかくそう、今は絶滅危惧種となったFMエアチェッカー。中学の時のカセットテープに始まり、現在のMDまでクラシックを中心としたライブ音源のコレクションは三千本を超す。実兄もコレクターで、いろいろ音源は提供してもらえる◆音楽の種類により目の前の畑の風景が変わって見えるのが楽しい。ベートーベンなど古典なら歌いながら気合いが入り、メシアンやヴァレーズならだんだん気が遠くなる。ラジオ番組のカリブ音楽特集では踊り出したくなった◆ネパールの山岳民族は田植え歌を歌いながら共同作業していた。農場主は一人きりの作業だけど、仕事と音楽は、切っても切れない関係にあることを実感する。(第95号・9月5日)
 

放射性セシウに汚染された牛肉騒動のあおりをうけ、農水省は「原発周辺県」に堆肥の使用自粛を要請した。なぜ長野県が「周辺県」に含まれるのか根拠を同省担当者に聞いた◆ごにょごにょと聞き取りにくい声は「原子力災害対策本部が食品の放射性物質検査対象にした都県だから」◆「堆肥の検査はしているのですか?」「いいえ」。長野県安曇野市の農家が四月に集め、保管していたわらを県で調べたところ「不検出」だったことはご存じない様子だった◆農水省は六月、下水汚泥中のセシウム濃度が200ベクレル以下だと肥料として使える、というあきれた通達を出したばかり。それとの整合性を聞いたら「堆肥についても早急に基準を設けて…」とごにょごにょ◆農場主も気になっていて、友人の測定器を借りて家周辺で放射線量の測定をして問題なし、と結論づけたばかり。秋野菜の作付けの時期、こんなばかげた通達はとても受け入れられない。撒いていい汚泥は決して使わないが、自分で作った堆肥はばんばん使うぞ、と心に決めた。
(第94号・7月29日)
 
この時期になると毎年我が家にロケハンに訪れるツバメ。でも野良猫がうろうろしていたりあげくは子育てまでしたためか巣作りには至らなかった。それが今年は違った◆一番高い棟木に泥をこすりつけ始めたのが五月十五日。その後も二羽で泥やら枯れ草やら運び続けて五日ほどでほぼ巣が完成。いまは二羽で交代に出入りしているようなので、抱卵中かもしれない。楽しみである◆二週間ほどで孵化するそうだが、かわいい声はなかなか聞こえてこない。雨の日など、二羽並んで近くの電線にとまっていることも多く、つい「卵は?」とうるさく聞いてしまう◆これまで本通信では「獣害担当官」などと野良猫の話を何度も書いたけれど、長続きしたためしがない。ヒバリの巣も毎年見つけるたびに放棄される。今度こそ本物になってほしい◆ふと気になってつばめの食べ物を調べてみた。答えは「飛ぶ虫」。トンボやハエ、蝶、ハチ…。青虫の親である蝶以外はいわゆる「益虫」が多いような気も。なるべく蝶や蛾を中心に、お願いしますよ。(第93号・6月29日)
 
原発をなくすにはどうすればいいか考えていた折、浜岡原発の一時停止が決まった。政府の英断に我が家でもこたえようと、電力会社と契約しているアンペア数を現在の40から30に下げることにした◆この「アンペアダウン」運動は、原発の電気を買いたくない意思表示になるとして、全国的に静かな広がりを見せている。基本料金が下がり、家計にも優しい◆IH調理器やクーラーのない我が家では、ワット数の大きい電化製品を同時に使わなければブレーカーは落ちない。我が子も積極的に照明を消すようになった。アンペアダウンは電力消費量を下げることに直接つながらなくても、節電意識を高めるには有効だ◆電力会社はこれまでオール電化など積極的に電気を使う生活を喧伝してきた。それは現在計画が進められているリニア新幹線などとあわせ、原発推進とセットだった◆福島の事故でこの流れがいかに危険なものか身にしみた。小さなことでもいいから流れを変え、子ども達に安心できる未来を残してやりたいと思う。(第92号・5月29日)
「パブリックコメント」という言葉をお聞きになったことがあるだろうか。行政による意見公募手続き、つまり新事業などに関してインターネット上などで国民から意見を求めることで、法改正により五年前から義務化されている◆実はここのところ将来に禍根を残しかねないような重要案件が続々登場している。南アルプスの山腹にでかいトンネルを開けるリニア新幹線、遺伝子組み換えの大豆を野外で栽培する試験・・・◆国だけかと思ったらわが伊那市でも小学校の自校給食をやめてセンター化する案を出していた。いずれも友人から聞き、あわてて反対意見を提出した◆お役人にすれば楽なものだ。ネットで公開しておけば一定期間後には「広く国民に意見を聞きました」と事業を進めていける。公募される意見はあくまでも「参考」。人気投票とは違う◆ネット環境から遠い人には知らない間に事が進んでいくことになる。密室の審議会などだけで進めていた一昔前に比べると、いくらかはましだが、あくまでも一つの手段と考えて欲しい(第91号・1月31日)

◆2010年◆
「もう店じまいです」。いつもの精米屋さんに籾摺りをお願いしに行ったら、正月以外年中無休、粉だらけで働いていたおじいさんの姿が見えない。いつも仲良く働いていた上品なおばあさんが、寂しそうにほほ笑んでいた◆昭和五年生まれというおじいさん。転んで足腰や頭を打ち、入院したという。伊那市内でただ一軒続けてきた精米・製粉の老舗もついにシャッターを下ろした◆昔は雑穀やそばの精白、製粉までやっていた。天井から何本も下がったベルトが回り、昭和初期のものと思われる精米機や製粉機がうなりをあげるのを見るのが好きだった◆小規模な籾摺りや製粉をするこうした店は、農業形態の変化とともに消えて行った。いまでも続けているのはどこも高齢者だ。以前隣の宮田村にある同様の店で後継者が東京から帰ってきたと聞いたときはうれしくて、仲間達と表彰状を贈ったこともあった◆これからは隣村まで出かけなくてはいけない。でも使うことで、地域自給のためにかけがえのない大切な仕事を支えることになる。(12月15日・第90号)

民主党がと
うとう環太平洋連携協定(TPP)参加に乗り出した。以前のマニフェストであれほど米国とののFTP(自由貿易協定)推進を叩かれたのに、一足飛びに地球規模での自由化の流れである◆自民党政権下でも二国間のFTP交渉は積極的だった。自由化は世界の流れ、とマスコミを使った世論誘導が進んでいる。民主党政権になってもこの動きが一層加速しているように思える◆自由化とセットになっているような戸別所得補償制度。農産物の自由化を進める一方で農家に補助金をどんどん出していくのだろうか。税金で農家を支えるのは理にかなっているが、所得補償は天文学的な数字になるのではないか。自給的な暮らしや農地を守る前に、国自体が破綻しかねない◆かつて東南アジアの熱帯雨林を破壊した木材の輸入自由化は、日本の森も荒れさせた。今度は地球規模で農地を荒廃させるのだろうか◆景気浮揚目的や米国の指図などによるのだろう。でもいったんたがが外れると元に戻すのは大変なことなのだが。(第89号・11月15日)

今年の稲
刈りはお客さんが一人も見えなかった。息子の保育園でも呼びかけてもらったが、集まったのは我が家を含めて四家族のみ◆十月はじめが雨続きでやきもきしたが、倒伏したモチ米の手刈りをはじめ、半分以上を事前に片付けていたので、当日はすいすいと終了。豚汁とおにぎりの昼食が終わって一時間ほどで全部終了して温泉へ◆子どもたちに食べ物のことを体感してほしい。その思いが、十年あまりの間有機農業に取り組んできた根底にある。でもその広がりは家族とその周辺にとどまっていて、忸怩たる思いだ◆そんな中、料理研究家辰巳芳子さんの特集をテレビで見た。全国の食生活を調査した結果、食に関心がない人が異常に多かったという。回答者はみんな疲れ切っているようだった◆食事の大半をコンビニなどに頼り、家で料理をしないような生活に「あなた、三年もたないわよ」と喝を入れる老大家。「自分が思っている以上に命はよりよく生きたがっている」とも。ある種のカタルシスを得た。うん、これでいいのだ(第88号・10月18日)

接戦が予想された民主党の代表選は菅さんの圧勝で終わった。マスコミには「短期政権でいいのか」「政治とカネ」といった実のない議論ばかり踊り、首相を選べない庶民は蚊帳の外だった◆農場主としては民主党のマニフェストにあった、日米自由貿易協定の推進はどうなったのか、気になる。日本の農業は自由化に馴染まない。グローバル化がこのまま進めば私たちの食はもとより、美しい風土が一気に瓦解してしまう◆戸別所得補償は考え方はいいが、減反に応じる農家が対象など、大規模化や効率化を進めるエサとしか使っていない。環境保全を進めつつ完全自給を目指す根本的な農政の転換を求めたい◆個人的には選択的夫婦別姓制度を導入してほしい。積極的な千葉法相が落選し、菅さんも小沢さんも一言も言わなくなったが。真の男女共生社会実現には必要と思う◆自衛隊の海外での武力行使に積極的な小沢さんが負けたことは唯一良かったこと。「市民派」菅さん、腰を据えてアジアから一目置かれるような国作りをしましょうよ。 (第87号・9月17日)
 
夏野菜三昧の時期。大人には嬉しい季節でも、野菜嫌いの我が息子にはあんまりうれしくもない。野菜炒め、天ぷら、サラダ、味噌汁・・・。どれもなかなか食べてくれない。野菜を食べさせるには原型をとどめないくらい煮込んだカレーが一番だ◆ネパール時代、毎日ダル・バードという名の豆カレーを食べていた農場主。あの味を再現したいのだけど、にんにくや香辛料たっぷりの激辛カレーは子どもには無理だ◆我が家ではいつでも生活クラブの「甘口ルウ」。トマトだけはたっぷり入れるけど、カレーとは名ばかりの、あまーい味だ。豆板醤やらタバスコやら、自分の皿にふりかけても、味はいつも怪しげ◆そんな中、ちょっと本場の味わいにしてくれるのが、畑の隅にあるコリアンダーだ。ネパール語でダニヤといい、カメムシに似た独特の香りは、いったんハードルを超えるとやみつきになる◆日本では種子の利用が一般的だが、葉をちぎって楽しめるのはこの時期だけ。家族からは鼻をつままれながらも、一人で「里帰り」を楽しんでいる(第86号・8月16日)
 
幅二十b、長さ百bほどと細長い我が家の敷地。北側は農業機械置き場や二棟のビニールハウス、作業小屋、そして畑があり、居宅は南の端にある。その周辺に少しずついろんな果樹を植えてきた◆「ニュートンのリンゴ」をはじめ、木イチゴ数種、サクランボ、プルーン、イチゴ数種、梅、アーモンド、スグリ、ブルーベリー、柿、山椒、ザクロ・・・。最近どれがどれか分からなくなってきた◆そんな中、長女が給食で食べたビワの種を植木鉢に播いたのが二年前。今は三十aほどの高さに育った。暖かい地方の樹ゆえ、大きな植木鉢に植え替えて室内に置いている◆「新しい葉っぱが出た」などと娘は喜んでいたが、科学的な思考をーとの親心で、最近は葉の長さを毎日測らせている。暑さに伴い、日に四a伸びることもあり、植物のパワーにあらためて感心する◆庭には地中海原産のの月桂樹もなにげに育っている。「室内でないと冬越しは難しい」と言われたが二度の冬を越して元気だ。温暖化が叫ばれる中、ビワもそのうち外で冬越し、となるかも。(第85号・7月14日)
「ユビキタス社会」というのがある。「いつでも、どこでも、誰とでも」つながっている社会。我が国の国家プロジェクトでもある。携帯電話の無線網と端末を使って、さまざまな遠隔操作を可能にするという◆そうでなくても携帯電話各社のせめぎ合いで乱立気味の基地局。伊那谷のたおやかな風景の中にも巨大な鉄塔がいくつも目に入るようになってきた◆そんな中、沖縄のある医師の話を聞いた。自宅マンションの屋上に携帯基地局が建設され、一時は自殺を考えるほどひどい、電磁波による健康被害にさいなまされたという。農場主の周辺にも同様の被害を受けた人が多い◆ここ十数年で、「ケータイ」は文化のようになってしまった。高校生たちが会話もせずその画面に向かいあっている様子は寒気がする。メールでつながっていないと不安なのだろう。我が子もいずれは、とは思いたくない◆農場主は携帯は持っていないが、日常的に会わなくてもたくさんの仲間とつながっていると思える。「つながる」のはハードではなく、心の問題なのだが。(第84号・5月28日)

二月十三日
、大好きだった祖母が亡くなった。百六歳。面倒見のいい、そして芯の通った明治人の大往生だった。お正月、家族みんなで病院に見舞ったのが最後になってしまった◆日露戦争前に生まれ、二度の大戦、二度の震災(関東と阪神)を乗り越えた。最近では「人間百過ぎたら下り坂やなあ」とよく衰えを口にしていた。百までは怖い物なしだったのか◆戦後の焼け野原にバラックを建て、「百姓の真似事」(自伝)を始めて四人の子育てをしながら、婦人会など社会活動に専念した。民生委員やら姫路城を守る会やら、忙しい人だった。刑務所で受刑者に面接するボランティアは亡くなる直前まで五十数年続けた。生き甲斐だったのだろう◆よくかわいがってもらった。正月に親戚が集まると、「期英ちゃんが好きやから」と必ずすき焼きを囲んだ。家では一人一個と決まっていた卵が、祖母宅では食べ放題だった◆受刑者に必ず説いていたのが家族の大切さだそうだ。祖母に愛されたように、家族を、そしてこの社会を愛して生きていきたい。(第83号・2月22日)
 
年に一度帰省する農場主のふるさとは、高度成長期に乱開発された神戸郊外のニュータウンにある。その団地の中に、当時としては画期的だと思うが、原風景だった松林をそのまま残した公園がある◆「動物公園」と呼ばれた一角には、鉄筋コンクリート製の実物大のライオンやキリンが並ぶ。子どもの頃は競ってその上によじ登ったものだ。今回も小二の娘が果敢に挑戦するのを見て四十年前にタイムスリップした◆骨組みは当時のままだが、彩色がずいぶんきれいになっていた。林の中に潜むトラは、昔は怖くて近寄れなかったが、ずいぶん優しい顔をしていた。動物好きの娘も「かわいい」を連発◆家族ででかけた祖母宅近くの動物園で見たトラも寅年だからなのか、柔和な表情に見えた。「おめでとう」と声をかけるとおしっこをひっかけられたが◆トラといえば、農場主にとっては子どものころから阪神タイガースである。赤星と藤本が抜け、城島が入った新生タイガース。今年の活躍はいかに。農場主も負けずに頑張るぞ。(第82号・1月11日)
 
◆2009年◆

「協力隊で
の体験が今にどんな形で生きていますか?」。農場主はここのところ、立て続けにマスコミからの取材を受けている。決まって聞かれるのがこの質問だ◆農場から車で三十分ほどの駒ヶ根市にある青年海外協力隊駒ヶ根訓練所は今年、開所三十周年を迎えた。取材が多いのはその関係なのだが、農場主が大学卒業直後に三ヶ月間お世話になったのはまだ昭和の世、大昔のことだ◆動機は今から思えば「何か人のためになることを」というよりは自分の経験を積むためだった。右も左も分からないヒヨッコが、初めての海外、それもネパールの山村で受けたカルチャーショックは、確実に人生を決めてくれた◆自分たちの食べるものは自分たちで作る、そんな当たり前のことができる国にしなければー。かの国で日本が見えてきた。帰国して農業をやろうと思った。取材にはそんなことを答えた◆放送された自分の話に、なんだかとってもいい人のように思えた。こんなバカの話を聞いてくれ、素敵に編集してくれた皆さんありがとう。(第81号・11月30日)
 
「虫と土があれば子どもってすぐ仲良く慣れるのね」。稲刈りのとき、一人のお母さんがつぶやいた。消費者や娘の同級生の家族、オーケストラ仲間など、農場主とはつきあいがあるが互いには初対面という面々。大人は手探りで会話の端緒をつかんだりするが、子どもはすぐに打ち解ける◆消費者以外は基本的にイナカの子であるが、昔に比べて外で遊ばなくなっている。いきおい、「虫が怖い」などと情けないことを述べる我が愚息のようなケースも出てくる◆そんな中、知らない兄ちゃんたちが、田んぼ脇の水路のたまり水にいたミズカマキリやタイコウチ、ダルマガエルなどに興じているのを見ていると壁も取り払われる◆後日、姉ちゃんが捕ったイナゴを佃煮にした。原型そのままの代物に「これ、生きてる?」などと確認しながらつまめるようになった。口には決して入れなかったが◆虫と土。農薬や都市開発などにより当たり前のものが当たり前でなくなってきた今般、有機農業をやってきてよかったとあらためて思う。(第80号・10月19日)
 
もうじき三歳を迎えるわが愚息と、保育園に通い始めた。自転車を押し、路傍の虫や花、そして西の空に残る下弦の月を眺めながらの三十分。これまで夜明け前から真っ暗になるまで畑に出て、子どもと接する時間が少なかったぶんを取りもどしたい◆ふだん軽トラで通っている道も歩くと景色が変わる。必死で横断している毛虫、くっつき虫(オナモミの実)、なぜか庭木からぶら下がっているカボチャ…。よく畑を走り回っているキジの親子連れもそのうち見られるかな◆先日は娘の小学校に続いて保育園の読書ボランティアにも挑戦した。ネタはいつもの「じごくのそうべえ」。枝雀演じる元ネタ「地獄八景亡者戯」をMDに落とし、畑での作業中に聴きこんだ成果を発揮した◆その後は登園のたびに全然知らない「お友だち」から「あ、本の人だ」などと呼ばれて気分がいい◆歩いての登園とともに、慣れない環境で頑張っている息子の様子を知るためにも、来春までは月一のペースで通うつもりだ。帰宅後はちょっとは畑を手伝ってくれよ。(第79号・9月14日)
 

自然農を実践ている大学の先生からおもしろい話を聞いた。「コメは昔はもっと旨かった。今は高くて旨いコメと安くてまずいのに二極化していて、この傾向はどんどん強まる」というのである◆キロ一万円のコメを売ったという自慢話は、全くの無施肥で栽培するというものだった。冷たい沢水だけで育てた山の棚田のコメは、収量が実に反収三俵。でもぴかぴかでそれは旨かったらしい◆農水省はコメ余りを解消しようと減反をやっきになって進めた。その結果、どうなったか。農家は少ない面積に多量の肥料、農薬を投与して反収を上げ、コメの生産量はほとんど変わらなかったという◆収量が増えれば味が落ちるというのは周知のこと。味が落ちたのが米離れが進んだ一因という。食糧難の戦後の記憶をもとに無茶な収量増を繰り返した結果、コメに限らず農産物の栄養価は下がり続けている◆うちの野菜の分析をしたことはないが、食べておいしいのはおそらく栄養価も高いと思いたい。収量が少ないのも、ある程度仕方がない・・・のかな。(第78号・8月3日)
 
定額給付金、高速料金一部値下げ、エコポイント。政権末期の麻生さんは笑っちゃうほどお金をばらまき続ける。野党の指弾も的外れで、政権交代してもアメリカのような劇的な変化は期待できない◆受け取る筋合いのない農場主の給付金は現在寄付先を検討中だし、ETCの無い我が家は高速に乗ることもほとんどない。十四年使った冷蔵庫を買い換えようとしてエコポイントのことを調べてはたと考えた◆家電業界が必死で売り込みを図っている。「エコ商品を買って地球に優しく!」。ちょっと待て。古い冷蔵庫を処分して膨大なゴミを出すのはエコなのか?◆いっぽう、高速料金の値下げで高速道は大渋滞。割の合わない公共交通機関はどんどん切り捨てているけど、冷蔵庫を大切に使ったり車で遠出しない人を厚遇するのが「エコ」じゃないの?◆強制連行した朝鮮人のただ働きで巨万の富を築いた麻生財閥の三代目だけに、おカネがとっても好きな麻生さん。エコ、エコっておっしゃいますが、エコノミー(経済)と間違ってませんか?(第77号・7月8日)
 
十年前の日記を引っ張り出してきた。読んでいると忘れていた多くの方々の厚意が胸に迫ってきた。当時勤めていた新聞社に退社の決意を伝え、残務整理をしながら就農の準備をしていたころだ◆「よく働いたんだから六月のボーナスまでやれや」と有給消化扱いを指示してくれた会社の偉いさん、「頑張れよ」と万札を握らせてくれた上司、「お客さん第一号だ」と約束した隣席のWさん◆オーケストラ仲間も応援してくれた。ともにいまだに野菜をとってくれている方もいる。そうでなくても、不安いっぱいだった当時の私に多くの方が限りない力を与えてくれた。有機農業の先輩や仲間の存在も大きかった◆何もかも生まれて初めてのことばかり。触ったこともなかった機械を借り初めての田植えを終えたあと、達成感で涙がこぼれた。「これでなんとかやっていけそうだな」と手応えを感じたのを思い出した◆新規就農の区切りといわれる十年を曲りなりにも越えた。次はどんな地平が見えるのか。感謝の心と初心を忘れず、年を重ねたい。 (第76号・6月1日)

あたらしい年が明けても、残念ながら暗いニュースが跡を絶たない。一番はイスラエル軍がパレスチナ・ガザ地区で行なってきた虐殺行為である◆わが伊那市の半分ほどの面積の地域に実に百五十万人がひしめき合う、世界でも有数の人口密集地。停戦の発表があったとはいえ、空爆などですでに千三百人を超す犠牲者が出た。イスラエルの蛮行は許されない◆遠い国のできごと、と済ます訳にはいかない。コカコーラやマクドナルド、インテル、ネスレといった私達にもお馴染みの大企業の多くがイスラエルを支援したりパレスチナの土地を圧迫している◆メディアリテラシーも求められる。「攻撃をテロに対する自衛と位置付けている」(岡真理・京大准教授)日本のマスコミは、おしなべてパレスチナの与党・ハマスを「武装勢力」などと片付けて真相を見えづらくしているからだ◆そんな中、何が自分たちにできるだろうか。岡さんは前述の企業製品をボイコットするなど「二十五の行動」を提案している。詳細は農場ブログでご確認を。 (第75号・1月19日)

◆2008年◆

第68号(1月25日) 第69号(6月9日) 第70号(7月14日) 第71号(8月29日) 第72号(10月1日)
第73号(11月7日) 第74号(12月10日)

「この中で動物園とかテレビでなく、実際にその辺でキツネを見たことがあるひとー」という問いに、我が子を含めクラスの大半が手を挙げる。さすがイナカの子と思わずうなずいた◆月に一回、娘が通う小学校で「読書ボランティア」をしている。ほかのメンバーは母親ばかりだが、農作業が一段落する秋以降は農場主も仲間に入れてもらっている◆先日一年生のクラスで、「七度ぎつね」を読んだ。旅人が何気なく投げた石にあたって怒ったキツネが化けて仕返しをするという上方落語由来の紙芝居。農場主はいつもそんなネタばかりやるのだ◆読後、「キツネを見ても石など投げないほうがいいぞ」とやったら「大丈夫だよ、化かさないよ」。確かに、この辺のトウモロコシ畑で夏に見かけるキツネはみんな貧相でおびえている感じでとても化かしキツネの貫禄はない◆キツネやキジ、サルは日常的に見るし、時にはイノシシやクマだって見かける。クマのプーさんをはじめ絵本の動物たちとは随分違うけれど、本物を知っているのはいいことだ。 (第74号・12月10日)

村のお祭りの金魚すくいに挑戦した小一の娘が、ちびちび金魚をたくさん持って帰ってきた。父親も何十年ぶりかでやってみたら、見事十数匹をゲット、即リリースした。世は金魚ブーム(なのか?)◆さて百円玉と引き換えにやってきた十数匹の金魚ちゃんたち。水槽やらぶくぶくポンプやら準備に何千円もかかって家計には大打撃だ。カブト虫やら青虫やらがいなくなってほっとしたのも束の間、また娘の熱い視線を受けている◆まあ、命の意味を考えるためにも、ゆらゆら泳いでいる姿を見るのも悪くない。実際、ちびたちに追いまわされ疲れ果てて我が家にたどり着いた金魚ちゃんは一匹、また一匹と斃れていく◆かくして、「かぶちゃん」「くわちゃん」「いなごちゃん」に続き、我が家の庭には「こうすけ君」(なぜか)といった金魚の墓標が林立する。果樹や花も植えたいが、教育教育◆今が旬の秋刀魚も金魚ちゃんも同じお命。一つの命が終わっても、それはバトンに託されるものだ、と教えたい。万物皆枯るる冬を前にして。(第73号・11月7日)

汚染された米や乳製品、産地偽装された精肉…。食料の六割以上を海外にゆだねながらその一割を食べ残し、やれグルメだ、やれスーパーの安売りを狙った節約術だと騒いできたこの国の「食」の脆弱さが、ようやく浮き彫りになってきた◆食の脆弱さは消費者の弱さでもある。表示だけを信じ、アンテナを張ってその食品がどこで誰が作ったかということに意識が伸びない。そこに生産者側が乗じた。「手作り」と称した和菓子屋が堂々と中国から輸入したあんを使っていても誰も気付かない◆ニュースを見ていて思った。この夏早々に売りきれたアンナプルナ米の代わりに、その辺のスーパーで特売しているミニマムアクセス米混じり(?)の米を詰め替えてキロ六百円で売ったら、たちどころにウチのお客さんには見抜かれるだろうな、と◆生産者は消費者が育てるもの。ところが今は時代が狂っている。売る側も買う側も、、食の大切さを原点から考えなおす良い機会だ。きちんとした労働にきちんとした対価を支払う社会を実現するためにも。(第72号・10月1日)

福岡正信さんが亡くなった、という記事を新聞で見つけた。九十五歳。ずっと以前から仙人のような風貌だったので、過去の人か、生きていらしても百は軽く越していると思っていたので少々意外だった◆名著「わら一本の革命」を読んだのは学生時代だった。わらのマルチ以外、草は取らない、もちろん農薬も、そして堆肥や有機肥料すら施さない自然農法は神がかっているとも感じたが、大きな感動を覚えた◆その後ネパールにわたり、自給自足を基本とする山間地で日本のことを考えていた。そんな頃、WWFのプロジェクトで同僚だったオランダ人女性に「帰国したらどうするの」と尋ねられた◆「有機農業をやりたい」と話すと「レボルーションウィズストローは読んだか」と言われて驚いた。英訳を、彼女も熱心に読んでいたらしい◆必要なだけ作物を収穫し、残渣は畑の表土に還す。そんな理想的な農業から、汗まみれで草と闘う現在のやり方は程遠いけれど、ずっと憧れている。お会いしたことはないが、福岡さん、ありがとう。合掌。 (第71号・8月29日)

 

冬の間大活躍した我が家のペチカがいま、ミニ動物園の体をなしている。昨夏からいるクワガタムシに加えて、稲のプールで発生したオタマジャクシとキャベツの青虫が所狭しと並ぶ。管理するのは新小学生の長女だ◆引越しや入学など環境の変化でストレスのたまる中で、心のオアシスになっている様子。農場主も、青虫をひねりつぶしたくなる衝動を抑えてその成長をともに楽しんでいる◆しかし、青虫はある程度の大きさになると腹から寄生バチの幼虫が出て死んでしまう。さなぎからモンシロチョウになるのを見たいのだが◆あらためて畑の生態系がバランス良くなってきたのを感じる。農薬に弱い寄生バチなどが増え、青虫の大発生を抑えてくれる。今年は晩春に冷えこんだこともあってモンシロチョウが例年になく少ない◆有機農業をはじめて十年目となる今年。農薬や化学肥料、燃料の大幅値上げで大規模慣行農家の苦境が伝えられる。でも、そんなものに頼らないでも農業は生き残れることを、青虫たちは身をもって示してくれる。(第70号・7月14日)


裸電球に表される、あの温かみのある白熱灯が消えようとしている。政府は地球温暖化対策の一環として、消費電力の多い白熱灯の生産を数年以内にすべて中止し、蛍光灯に切り換えるそうだ◆これにより、国内の全家庭からの二酸化炭素排出量を約一・三%削減できるという。欧米でも同様の動きが広まっているそうだ◆ちょっと待てと言いたい。それだけの効果なら、ほかにやるべきことはないのか? まず原発と軍事関連事業の見なおし、深夜の広告灯や無駄な照明をやめる、クルマ社会からの脱却を考える…◆そもそも蛍光灯に切り換えるといっても、充填されている水銀蒸気の環境への拡散はどう考えるのか。あちこちで割れまくっているうえ、回収といってもまだまだ埋めたてられているのが大半だ。微量ながら出る紫外線や、国内では規制のない電磁波の問題は?◆政府は価格の差ばかり気にしているようだが、消費者もそんなにバカではない。蛍光灯に補助金を付けて安く売られても、地球も消費者も、ぜんぜん嬉しくはない。(第69号・6月9日)

♪雪のふる夜はたのしいペチカ〜♪ 農場主の好きなこの歌の世界が、現実のものになった。北欧の石造りの家が本来の姿だが、木造住宅のど真ん中にレンガのそれが存在感たっぷりに構えているのもなかなかよい◆燃料は近くの森の間伐材。昨年集めて薪割りをしたものだ。家の建築端材もたっぷりと取ってあるので今のところゆったりと構えていられる◆年をとったら薪集めに苦労するかも、という懸念には目をつむるとして、これまで寒いアパートで一日石油ストーブと電気こたつをつけっ放しにしていたことを考えると、開放感がある。ちなみに我が家は風呂も薪で沸かすタイプ◆ちなみに、ここら辺の間伐材はほとんどカラマツなどの針葉樹だが、たまにクヌギやクリも出る。春になればキノコの種菌を打ちこみ、セットの品揃えを充実させたいーと夢が膨らむ◆里山を抱えた地域以外ではこんな生活は難しいのだろうが、荒れた日本の山を守るためにも、多くの人が、国内自給できる燃料や建築材の存在に目を向けてほしいと思う。(第68号・1月25日)

 

◆2007年◆

第62号(1月12日) 第63号(5月31日) 第64号(7月9日) 第65号(8月24日) 特別号(9月26日)
第66号(9月28日 第67号(11月4日)

稲刈の時期はさまざまな雑穀の収穫時期と重なり、農場は大忙しとなる。アマランサス、とんぶり(ほうき草)、タカキビ、ポップコーン、もちきび…。脱穀も稲と違ってほとんどが足踏み脱穀機による手作業だ◆雑穀を作っていて、つくづく稲の素晴らしさに気付く。たとえばアマランサス。栄養的には米より優れているのかもしれないが、穂が一度に成熟しないし、自然にばらばらと種が穂から零れ落ちる(脱粒)。◆タカキビはその点、穂の成熟は揃っているが、天日干しの途中で長雨に当たると確実に芽が出る。稲架で穂発芽なんて考えられないことだ。双方とも、一斉に稔って脱粒も穂発芽もしない稲を見習えと言いたくなる◆このあたりの育てやすさ、収量の多さが、先人達が主食を米に選んできた一因かも。近年まで雑穀が主食の位置にあった地域も、水さえひければ米を作っていただろう◆そんな苦労の多い雑穀栽培だが、それぞれの個性が楽しく、需要もあって続けている。畑の景色も多様で、豊かな気分にさせてくれる。(第67号・11月4日)

朝起きてから夜寝るまで家族以外ほとんど誰とも話をしないことが多い。特に作業がピークとなるこの夏はそうだった◆さて、農場主はこの春から、就農以来お世話になってきた県有機農業研究会の南信地区長というのを務めている。地区の会員七十人ほどに会報を送ったり、全県の役員と集まって会の運営を話し合ったりする仕事だ◆ほぼ同期に就農した前任者から頼まれ、そろそろそんな潮時かなと引きうけた。日頃ご近所付き合いくらいしか人と出会わない農場主には良い刺激になる◆二十人弱いる役員は、顔をやっと覚えた程度の人もいるが、話をしてみるとほとんどが友人の友人だったり、何らかのつながりがある人ばかりなのに驚いた。「類は友を呼ぶ」ということか◆思えばセット宅配のお客さんも口コミでだんだん増えてきた。最初はネットでの出会いだったけれど実際に畑を見に来られてお友達になったり。はた目には孤独な作業をしている農場主も、多くの人とつながっているおかげで現在があることを、しみじみと感じている秋だ。 (第66号・9月28日)

はい、こんにちは。ゆうまです。すこっぷのおもちゃがすきです。「ちょいとへんてこ」をおねえちゃんといっしょにおどるのがたのしいです◆うまれたときからまんまるめんめで、くりくりヘアーがめだっていました。かみはきったけど、まえがみはまだくるくるしているので、おねえちゃんがときどき、ちびまるこちゃんのはなわくんにしてくれます◆うまれてから、とびひやとっぱつせいほっしんのほかはおおきなびょうきもせず、げんきです。あたまがでかいといわれますが、とうさんとかあさんもでかいです◆ごかげつでねがえり、きゅうかげつでひとりだち、じゅういちかげつであるけるようになりました。とくぎ?いろいろあります。「ばいばい」でしょ、いないいないばあ、そしてぱちぱちしながらあるくこと、「はあい」、あさしょうりゅうのかおも◆おおきくなったら、はこをじぶんであけられるようになりたいです。こっぷでじゅーすをのみたいです。えーと、あたらしいおうちでいっぱいらくがきもしたいです(こらっ!)  (特別号・9月26日) 

「有機工業運動」というのをご存知だろうか。発明家の藤村靖之さんらが提唱している、「非電化製品」の産直のこと。たとえば電気を使わない冷蔵庫や除湿機を希望者を募り、製品化する◆水の対流や夜間の放射冷却現象を利用した非電化冷蔵庫。電気のないモンゴルの地方でも活躍しているそうだが、国内では三千人集まれば三万円で販売できるという。藤村さんの「非電化工房」では掃除機や浄水機なども扱う◆酷暑で電力供給危機が叫ばれ、新潟の地震では原発のもろさがあらためて露呈した◆原発といえば、日本中からクーラーがなくなれば三基、電気ポットがなくなれば二・五基が不用になるそうだ。地震で簡単に放射能漏れを起こし、六ヶ所村で核のゴミ捨て場が建設されようとしている今、負の遺産を子どもたちに残さない働きかけが必要だ◆農場主はこの夏、冷蔵庫の恩恵は随分受けた。電化生活は否定しない。でも、楽しみながら非電化を選択肢にいれることもひとつの意思表示だということを、この運動は教えてくれる。 (第65号・8月24日)

春の葉物野菜、特にキャベツや白菜、ブロッコリーは毎年、たくさんの青虫の食害に遭う。代表的なのはモンシロチョウとコナガ、そしてヨトウガ。昨年よりはましだったが、葉の陰に隠れて何匹かは皆さんの元に届いてしまったのではないだろうか◆付き合っていると、それぞれの個性が見えてくる。モンシロチョウはとにかく目立つ。畑でひらひら飛んでいるし、幼虫はカンカン照りの中でも葉の表でじっとしていて見つけやすい。寄生バチに攻撃されやすく、ネットをかけると防除もしやすい◆コナガは暑い時期の苗作りを著しく妨害する。小さくてネットの隙間から簡単に入りこみ、幼虫は葉の表にはまず出てこない。成長点にある新葉から食べてしまう◆一番卑怯(?)なのはヨトウガだ。昼間は地中に潜み、夜に出てきて大量に葉を食べる。前の二種とは違い、結球野菜ではどんどん中に入りこむので、外葉をむしったくらいでは売り物にならない◆そんな虫たちの大活躍も秋風が吹くころまで。もう少し一緒に頑張ろう、キャベツ君。(第64号・7月9日)


「バイオエタノール」という言葉を耳にすることが多くなってきた。サトウキビやトウモロコシなどを原料にした燃料で、ガソリンに混ぜて使う◆「環境に優しい」などと触れこみ、国内でも販売が始まった。化石燃料の消費を抑え、循環型のエネルギー資源として期待される◆ただ、現状は手放しでは喜べない。国策としている米国やブラジルでは、食料生産を抑えて燃料に回したり、アマゾンの熱帯雨林を開発したり。世界の食料需給バランスが崩れ、ふたたび南北格差が広がろうとしている。報道されていないが、こうした作物はおそらく遺伝子組み替えだろう◆いっぽう農場主はこの春から、トラクターでバイオディーゼル燃料(BDF)というのを使い始めた。こちらは地域のNPOが天ぷら油などの廃食油を回収し、精製したもので軽油と混ぜて使う。エンジンが掛かりにくいが、排煙は天ぷらの匂いだ◆問題は多いが、植物由来の燃料には期待したい。必要最小限の消費を心がけることが大切、ということは言うまでもないのだが。(第63号・5月31日)

年末に「有機農業推進法」が臨時国会で可決、施行された◆今国会は、防衛庁の省昇格やら教育基本法の改悪など、アベシンゾー(きっこの日記風)が化けの皮がはがれないうちに決めるものは決めちゃおうというドタバタぶりにあきれ返ったが、この法律だけは光っている◆これまで農業政策といえば、実現しない大規模化と近視眼的な効率化ばかり唱え、税金は土建屋など他産業に流し、食料自給率をどんどん下げてきただけと言って良い。その政府が、初めて有機農業の重要性を法律に記すに至ったのだから◆具体的な内容はこれからだ。消費者にとっては安全な野菜を確実に、適正な価格で入手できるシステム作りー具体的には現在の「認証」や「表示」のあり方を見なおすことが必要だし、農家側にとっては環境保全への評価もしてほしいところだ◆日本同様の島国、キューバは有機農業で疲弊した国を建てなおしている。「美しい国」は、押し付けの愛国心や軍事力ではつくれない。有機農業が盛んになれば、自然にそうなると思うのだが。(第62号・1月12日)

◆2006年◆

第55号(5月22日) 第56号(7月3日) 第57号(8月2日) 第58号(9月4日) 第59号(10月9日
第60号(11月13日) 特別号(11月28日) 第61号(12月8日)

年の瀬、喪中のはがきがたくさん届く。農場主の周りでも今年は長男という新しい命の誕生を喜んだ半面、「かなしいおしらせ」も相次いだ◆七月、新聞記者時代の元上司。釣りが好きで、ずっと言っていた「将来は上越で釣り三昧」を実現し、農場主と野菜と魚の交換をしたりしていたが、ガンに倒れた◆十一月の灰谷健次郎さんもショックだった。子どもを題材にした数々の作品に昔から触れ、知人が親しくしていることもあっていつかお会いできるのを楽しみにしていた◆「かなしいおしらせ」とは五歳の長女が大切に育てていたかぶと虫が夏の終わりに死んだ時の言葉だ。「かぶとむしがしんじゃった」と十五分は泣きつづけた。メスだったこと、当時母親が切迫早産で入院中ということも手伝って耐えられない悲しみだったようだ◆イラクやアフガンで命を落としていく兵士、その数百倍の無辜の市民。いじめで死んでいく子どもたち。命の重みを、あらためてかみしめたい。そう、野菜たちもみんな大切ないのち。重みや質は違っても。(第61号・12月8日)

「さむかったでしょう。ご苦労様」。冬のバイトから帰った父親をこんな一言で驚かせた。「かさじぞう」の台詞でしたか。以下、この一年の真和語録◆「なんでみつかっちゃったの?」。知人が骨髄移植のドナーが見つかったという話に割り込んで。「ご飯のしたくしてていい?」母親が入院時、朝の収穫に出かけた父の携帯を呼び出して一言。帰ったら本当に机におかずが並んでいた◆「かぶと虫が死んじゃった」。健ちゃんにもらったメスが死んだ時、十五分間は泣きつづけた。オスの時はけろっとしていたが。「十月の誕生日、誰か知ってる?」「知らんなあ」「よくあたまで考えなさい!おくばまでかみしめて!」◆「きょうからよにんかぞくだねえ」。母親と弟が助産院から帰ってきてしみじみ。秋の夕暮れ、保育園の帰りに「おひさま、山にかくれちゃったね。山はあったかいかな」◆この二十三日に亡くなった灰谷健次郎さんの子どもの詩を思い出した。精いっぱいの言葉のかずかず。真摯に受け止めることで、親も育てられていく。合掌。(特別号・11月28日)

秋も終わりになると毎年のことだが、手の荒れに悩まされる。特によく使う右手の人差指と中指は指紋に沿ってひびが入り、ひどいと出血する。土を掘る作業が多く、乾燥が追い討ちをかける◆最近、馬油(マーユあるいはバーユ)というのを愛用している。そんじょそこらのハンドクリームよりずっと体に優しい感じがする。そういえばうーゆというのもあるらしい。こちらは兎の油◆市販されているハンドクリームの主成分はグリセリン。石油からも作られるアルコールの仲間だが、おそらく植物性のものが多いのだろう。昔は鉱物由来のワセリンもよく使われていた◆対して馬や兎という動物の油をそのまま塗るというのはなかなかワイルドだが、やっぱりなじみやすいのだろうか。そういえば農場主が昔暮らしたネパールの山村でも、ひなたぼっこさせた赤ちゃんのお尻や背中にバターをべたべたぬりまくっていた◆さてそんな動物たちの命にも感謝しつつ、少し獣臭くなったアカギレの手でもう少し、じゃが芋掘りを頑張ろうか。(第60号・11月13日)

「髪の毛が見えて
きたよ。赤ちゃんが『生まれるよ』って頑張ってるよ」。早朝四時に起こされ、眠い目をこすりながら農場から車で十分ほどの助産院へ。これまで見たことがない、母親の苦しむ姿に驚きつつ、長女も頑張った。「お姉ちゃんだからね」◆五年前のお産と同じような経緯をたどった。立ち仕事(教員)ゆえの無理から切迫早産と診断された妻は五月から自宅でほぼ寝たきりに。八月には絶対安静を求められて入院も経験した◆大好きな母親といっぱい遊べない。足しげく通ってくれた義母にもそう頼れない。代わりに登場したのが不肖父親である。保育園が休みになる土、日曜は公園やプールによく出かけた◆でも、その程度。妻の入院中は、朝、寝ている娘をひとり置いて畑へ行ってしまう。キュウリ畑で、ケータイが鳴る。「ビデオが見れないんだけど」。そう、携帯電話とビデオにはお世話になった◆弟ができた今、うれしいけれどやっぱり母親はあまり遊んでくれない。父親も畑に出たまんま。ま、冬になったら、いっぱい遊ぼうね。(第59号・10月9日)

お盆が過ぎると、朝夕の涼しさとともに、畑の雑草たちの顔ぶれが変わってきたことに気がつく。◆春の雑草で代表的なのはハコベやヨモギ、スギナなど。その多くは多年草で、根が深い。特に春に耕せない冬ごしの玉ねぎやにんにくの畑では根が深く、草取りに難儀するものだ◆夏になるとアカザやオオブタクサ、オヒシバ、カナムグラなど一年草が跋扈する。ほっておけば二メートルを越えたり、蔓を伸ばして畑じゅう覆うものなどして作物に致命傷を与えるものが多いが、早めに除去すれば根は浅く、簡単にぬける◆秋になって目立ってくるのはスベリヒユだ。種が強く、人参畑で太陽熱を利用して雑草の種を殺す工夫をしても、人参より一足早く生えてくる。夏の少雨で雑草たちも参っているなか、砂漠の植物のような多肉質の茎が乾燥から守ってくれるのか、畑では一人勝ちという感じだ◆そんな雑草との闘いもあとわずか。虫の害も減ってくる。九月こそは適度な気温と雨で、静かな、そして豊かな稔りの秋を迎えさせてほしいものだ。(第58号・9月4日)

うなぎ、
モロヘイヤ、納豆。夏を代表する(?)これらの食べ物に共通する物質がある。それは「ムチン」。たんぱく質と多糖類が結合した粘性物質で、胃壁をはじめヒトの体内の粘膜を構成する主物質でもある◆葉物野菜が少なくなる夏場、モロヘイヤのほか、オクラやツルムラサキ、オカノリといった、ムチンを多く含む「ネバネバ野菜」が食卓によく上るようになる。こうした野菜のおひたしは、そうめんなど冷たい麺類にもよく合う◆日本は、世界でもこのムチンの摂取量が多いそうだ。とりわけ長寿県として知られる沖縄の料理には昆布をはじめ、ネバネバ系がたくさん登場する◆こう書くと、いかにも「ネバネバが長寿に効く」「健康に良い」といった三文広告のようだが、大切なのはバランスのとれた食生活ということはあらためて言うまでもない◆でも、夏くらいはこの粘りを楽しみたい。モロヘイヤと納豆と生卵を一緒にして箸でぐちゃぐちゃとかき混ぜ、醤油をさらっとかけてあつあつご飯に。あ、ねばねばが嫌いな方、ごめんなさい。(第57号・8月2日)

前号で「
白いんげん騒動」について書いたところ、たくさんの方から反響をいただいた。「テレビの影響ってすごいんですね」◆メディアから洪水のように溢れてくる情報を鵜呑みにしていたら、生の豆で下痢をする程度で済めば良いが、体がいくつあっても足らない。メディアリテラシーというか、情報を送り出す側の論理を読み取る能力が今ほど求められている時代はない◆イラク戦争で女性兵士の救出劇が喧伝されていたとき、長野県の地方紙に、これを手放しで称えるコラムが載った。まさに恥の上塗り。戦争報道の怖さは、情報操作の連鎖にあると思い、抗議したことがある◆最近、電磁波被害の恐れがある携帯電話のアンテナ鉄塔建設の反対運動に取り組んでいる人が、「マスコミが取材にきたり、少しでも記事を書いてくれれば反応が違う」と話していた。まだこの問題の認知度は低いのだ◆書き飛ばすか、まったく書かないか、その違いは何なのか。流れてきた情報を疑い、流れてこない裏側の真実に想像の翼を広げよう。(第56号・7月3日)

家を作りたいー。その長年の夢がもうじき実現する。見た目にはまだただの麦畑だが、その収穫が終わるといよいよ工事が始められそうな状況になってきた◆思えば長い間、多くの人とのつながりがあってここまで来られた。畑を買うことができたのは、協力隊ネパールOBを介して以前から知り合いだった地域の有力者(有名人)が熱心に探してくれたおかげ。畑を住宅にするには煩雑な手続きがいるが、「農振農用地区域除外申請」では農業委員会、「分筆、登記」では法務局や土地改良区、土地家屋調査士の方に世話になった◆とりわけ測量には手間取った。測量士補の資格を取ったのは遠い昔、学生時代のこと。本を借りて再勉強し、詳しい仲間に手伝ってもらった◆地域の木を使った家を建てたいとの思いを、設計士のTさんと共有できたことも大きい。先日は家族で森に丸太柱などを切りに出かけた。皮をむくと瑞々しい材が顔を出す。そう、この木の命を頂くことも忘れてはいけない。さまざまな感謝を込めた家作りになりそうだ。(第55号・5月22日)

◆2005年◆

第48号(5月7日) 第49号(6月29日) 第50号(8月8日) 第51号(9月21日
第52号(10月10日) 第53号(11月14日) 特別号(11月28日) 第54号(12月14日)


先日知り合いのお医者様に寿司屋のカウンターでご馳走になった。ナントカの白子だの、ヒラメの腹側と背側の刺身の食べ比べだの、どこそこの銘酒だのよく覚えていないが、ああうまかった。ご馳走さまでした◆地元紙の長者番付の常連でもある彼が「齋藤さんはうらやましい」と嘆息する。思わず「え?」と聞き返す。「こういうのね、僕はだんだんうまいと思えなくなってきたんですよ」◆忙しい人ではあるが、金に困ることはない。好きな物を好きなだけ食べられる。聞いたこともないようなものを、満面の笑みでウヒョウヒョと口にする農場主が新鮮に見えたのか◆はっと気付いた。農場主は毎日、自分や妻が作る野菜中心の食事がおいしくてたまらないことに。そこで「本当においしいのはね、先生、自分で種をまいて自分で草を取り、自分で稲刈りした新米の味ですよ」と言った◆医という分野は医食同源という言葉があるように、食に劣らないくらい人間生活に大切なもの。お医者さんも、一緒に田んぼや畑を耕しませんか?(第54号・12月14日)

「おそーい」。秋の日が暮れ、真っ暗になった保育園に駆け込むと延長保育の部屋から飛びついてくる。しばらく抱きしめ、家に帰った後はご飯、風呂、歯磨き、就寝ーとあわただしく時間が過ぎていく◆平日は一緒に過ごす時間が本当に少なくなった。以前は一日中母親にべったりだったことを考えると、この一年は真和にとって激変だったろう。以下、保育園の連絡帳から真和語録を◆「泣かないよ。先生、困るから」。保育園に通い初めて数日後。夜中は大泣きでつらかった。節分の前日、「明日は鬼がくるからお迎えは早くに」その日保育園で大泣きして帰り、「鬼さん、おうちにも来る?」◆「うさぎさん、中にはお姉さんが入っているんだよ」。かぶりものが怖いので自分に言い聞かせる。気に入らないことがあると「お母さんの意地悪。もうあそんであげない」◆田んぼでイナゴを捕りながら「カエルもぱえられるかなあ」。ドーナツに白い砂糖がまぶしてあるのを見て「甘いお塩だねえ」。うん、うちの砂糖は茶色いからねえ(特別号・11月28日)

畑仕事が
一 段落したので、半年近くの間休団していた市民オーケストラの練習に出かけることにした。夏の間しまったきりだったビオラのケースを空けたとたん「え?」と目が点に◆弓の毛(馬の尻尾)がぶちぶちに切れている。他方、時々練習に出かけていた妻のバイオリンケースに入っている私の予備の弓は何ともない◆両方とも毛は緩めてあり、使わない期間やふだんの保管場所は同じ。なぜだろう。団員仲間の意見で一番説得力があるのが「暗いところが好きな微生物がかじった」という説。夏の間一度も蓋を開けなかったケースはササラダニなどの格好の棲家だという◆学生時代に使った「ツルグレン装置」を思い出した。下にふるいがついた筒の中に落ち葉や土を入れ、上から電球を照らすと、土壌動物(微生物)が下から落ちてくるーというもの。彼らが明るく乾いた所から逃げ出そうとする性質を利用している◆大切な楽器が微生物の棲家になってはたまらない。練習しないにしても時には蓋を開けて顔を見てやろうーそう思った (第53号・11月14日)

稲刈りは
楽しい。バインダー(結束機)でざくざくと金色の穂の海を進んでいくと、美しい結晶のような稲穂が地面に横たわっていく。イナゴやカエルがぴょんぴょん飛び出すのに気を取られながらも、子ども達がそれを一緒に運び、母親がはざに掛けていく◆この楽しさは何だろう。一年の苦労が報われる収穫の喜び、たくさんの生物と共に生かされていることへの感謝、共同作業を通じての連帯感、そして家族の絆の実感・・・◆捕まえたイナゴを熱湯に放り込み、砂糖醤油で炒めて娘と食べた。命を頂く実感が少しでも持てるかな。手を合わせて「なむなむ」◆泣いたりするかと思いきや「脚が固いね」。「カエルは食べられないかな」。いや、お父さんは学生時代、山でスープにして食べたことがあるーとも言えず、あわてて否定◆考えてみると稲は長い間、日本人とともに生きてきた。農場主も創業以来自家採種を続けている。この命の連続性をへんてこな遺伝子組換えなどで壊してほしくない。稲刈りをこれからもずっと楽しみたいから。(第52号・10月10日)

「遺伝子組換え
ってなんであんなに騒ぐんや」。父と飲んでいたらそんなことを言いだした。除草剤耐性を持つGM大豆を食べたヒトの腸内細菌が除草剤耐性を持つようになったーとの例を挙げて「それが気持ち悪くないんなら食べたらええやん」とだけ答えた◆父は物理学者。科学的なはっきりした結論を求めたがる傾向にある。命に関わる明確な危険性が示されなければ結局無関心になる。多くの消費者の認識はそんなものかもしれない◆結果、身の回りにGM食品や作物はどんどん増えてきた。今年七月には長野県内でもGMナタネの自生が判明。輸入ナタネの種が輸送中にこぼれたとみられ、アブラナ科他種との交雑が心配される◆隣の新潟県ではGMコメの収穫が間近になっている(現在係争中)。米国の圧力もあって、GM作物の栽培や食品の浸透は想像を超える勢いだ◆これで良いのだろうか。「戦争、貧困、差別…。すべてに共通する原因である悪とは、無関心である」。ノーベル賞作家E・ヴィーゼル氏の言葉を重く受け止めたい。(第51号・9月21日)

三歳になる
我が娘を新潟の海に連れていった。二年前、甲子園に行くときにちょっと須磨の海で遊んで以来だが本格的に泳ぐのは初めて。それでも浮き輪で上手にばた足をするので驚いた◆翌朝、早く目覚めたので、静かな浜辺に出た。寄せては返す波を眺めていると、信州の山の中で暮らしているとつい忘れがちになる海の一種独特の懐かしさを思い出した◆ヒトの血液中の塩分濃度が海水と同じことや、初期段階の胎児が魚のようであることなど、海との親和性はあらためて言うまでもない。畑もカキ殻やグアノ(海鳥の糞化石)などさまざまな恩恵に浴している◆海と直接つながっていることを感じるのは田んぼだ。諏訪湖のあまりきれいとは言えない水が田んぼを通ることで窒素や燐分が稲に固定され、きれいになって天竜川を経て太平洋に注ぐ。川の浄化作用の一翼を少しは担っている◆除草剤など薬物を使う水田では浄化しているのか汚染しているのか分からない。安心して子どもが泳げる海を守るのは私たち親の世代の責任なのだが。(第50号・8月8日)

田んぼに
這いつくばって草を取っていると、素敵な世界が見えてくる。アメンボやトンボ、カエルなどは言うに及ばず、農場主が少年時代に心躍らせたタイコウチやミズカマキリなど゙捕食性武闘派≠フ水棲昆虫が、そこで生き生きと暮らしている◆卵を背中にしょったコオイムシやガムシ、ハシリグモなどもよく目に付くし、時にはシマヘビが畔を走り抜けたり、かわいいアマサギが飛んで来たりもする◆こうした生き物たちはみな、水田といういわば人工の生態系に適応して人間とともに暮らしてきた。しかし休耕田の増加や除草剤材の大量散布、溜め池の減少や圃場整備などで生き物たちが暮らしにくい環境になり、先に挙げた中でも絶滅危惧種に指定されているものがあるほどだ◆「自然を作る」などとおこがましいことは言わないけれど、結果として伝統的な稲作がこうした生き物を含めたニッポンの原風景を育んできたと思う◆久しぶりにはだしになって童心に戻り、農場主と一緒に草取りをしながら虫たちと話でもしませんか?(第49号・6月29日)

最近
有機農業を巡るさまざまな言説を耳にする。認証制度の定着で有機野菜を目にする機会が増えたためだろう。しかし、看過できないような誤認、偏見も目に付く◆信濃毎日新聞四月四日付科学面掲載の「無農薬に多いアレルゲン」の記事。京大チームの研究により、無農薬栽培で黒星病などが出たリンゴにアレルギーの原因物質(アレルゲン)が多く含まれていたため、「無農薬だから必ずしも安全とはいえない」と結論づけていた◆実験結果から結論に論理の飛躍がある。植物がアレルゲンを作り出す原因のひとつが病虫害にあるというのは周知の事実だが、「無農薬だから」危険なのだろうか◆商品にならないようなひどい病気リンゴからアレルゲンが出たといって、そんなリンゴを誰が食べるというのか。肥料の過剰投与を避け、健康に育てた作物は病虫害も少なくなる◆無農薬=虫食い、病気ーという思い込みがこの研究者、そして新聞記者にはあったのだろう。賢い読者なら読み取れるが、うっかり鵜呑みにする人もいそうで怖い。(第48号・5月7日)
 
◆2004年◆

        第47号(12月29日)
第46号(10月20日) 第45号(9月6日) 第44号(8月4日) 第43号(6月28日) 第42号(4月21日)



この一年を
表す一文字は「災」だそうだ。農場でも入梅した途端のカラカラ天気で、いつまでも続く真夏日で畑は草も生えない状態に。それが秋になると一変して長雨で、病気が続発した。何度も台風が襲来し、雑穀が倒れ、ハウスや機械小屋の屋根が吹っ飛んだ◆浅間山の噴火や中越地震、そして東南アジアでは史上最悪の大地震と津波、ヨーロッパでは記録的な冷夏だったという◆その一方、政治家たちは相も変わらず戦争という名の人災を引き起こすのに余念がない。多くのマスコミもイラクでの米軍への反撃を米側の発表通り「テロ」と伝えるなど批判精神のかけらもない。イラクの市井の人々にとって望まぬ戦乱は災いそのものだ◆野にある人が正しい情報を共有し、災いには知恵で対抗しなければ。八枚ある畑も、それぞれの性格が微妙に異なっている。作柄にあった土作りをし、異常気象に負けない経営をしたい◆来る年。縁あってつながりができた方と力を合わせ、住みよい世の中にしたい。平和な一年になりますように。(第47号・12月29日)

各地で大きな被害をもたらした台風18号は我が農場でも育苗ハウスの屋根をきれいに吹き飛ばしてくれた。ちょうど替え時だったし、高価なパイプの骨組みはそのまま残った。不幸中の幸いだ◆早速ポリシートを購入して、ハウスの屋根によじ登った。重いシートを引きずって高さ三メートルほどの骨組みの上を歩くのは怖い。ずっと以前、佐賀県にある施設栽培のホウレンソウ農家で研修したときのことを思い出した◆農業大学校の先輩はジャングルジムのようなハウスに地下足袋姿でひょいひょいと登り、走るように屋根をどんどん張っていた。猿のようなその姿に、「農家ってすごい」と感心したものだ◆あれからサラリーマン生活を経て十数年。少しは農家らしくなったのかー。答えは「否」である。ちょっとした風で「ひやあ」と四つんばいでパイプにしがみつき、下校中の小学生にくすくす笑われる。風ですぐ凧のように空に舞い上がろうとするシートを必死の形相で押さえ込む農場主◆「顔がすごい」とだけは思われたかもしれない。 (第46号・10月20日)

 

「播かぬ種は生える。播いた種は生えない」。有機農業をやっていると、この逆説的箴言が身にしみる。カラカラ天気で白菜が全然芽を出さないのに、エノコログサやスベリヒユなどはわしわしと生えてくる◆雑草というのはあきれるほどたくましいものだ。野菜のほとんどが生長点の所で折れただけで枯れてしまうのを尻目に、抜いた雑草がふたたび息を吹き返す◆そんな中、雑草並みの底力を見せてくれるのが、種取りをした後に出てくるこぼれ種だ。雑草が目に付いた先述の白菜畑は最近、冬菜とうぐいす菜の畑に変わりつつある。いずれも今年の春に種を取った場所。時期になると一斉に芽を出してくるというわけだ◆育種の専門家から聞いた話だと、強い種を取る一番いい方法は、肥料分の少ないやせた畑で実を付けたものから種を自分でこぼれさせ、苗を間引かずに競争させ、残った株から種を取るーというものだそうだ◆自然の摂理に即した採種法。そのノウハウに、栽培方法にも応用できる多くのヒントが詰まっているような気がする。(第45号・9月6日)

 仲間と出荷している近所のスーパーから「無農薬の表示はまずいそうだから替えてください」と言われた。調べたら、農水省のガイドラインがまた変更になったという◆「有機」の文字が店頭から消えたのが四年前。当農場のように手間のかかるJAS認証を取得していない農産物は「有機」と表示ができなくなり、「無農薬無化学肥料栽培」と表示していた◆今度はそれもだめで「特別栽培」らしい。なんでも減農薬、減化学肥料の基準があいまいだから、無農薬とひとくくりにするとか◆減農薬とは、「その土地の慣行の五割以上農薬の使用を減らしたもの」。つまり、農薬メーカーが牛耳る農協などが配っている防除暦の半量は使って良い。また、この「土地の慣行」がくせ者で、暖かい地方では当然農薬使用が増え、寒いと少ない。場合によっては九州の「減農薬」より北海道の「慣行」の方がずっと安全と言うこともあり得る◆消費者の知る権利が脅かされている。言葉の遊びではなく、農薬使用にこそしっかりした表示を求めたい。(第44号・8月4日)

「花火かなあ」。二歳半になり、毎日しゃべりまくっている娘が心配そうに尋ねる。早朝から、近所の牧草畑で「パーン」という破裂音が響くようになった◆娘は昨年夏以来の花火嫌い。あの腹の底に響くような音と美しい炎色反応が苦手なのだろう。「あれはね、鳥おどしといって、播いたとうもろこしを鳥さんに食べられないようにしているんだよ」◆こんな風に笑って暮らせるのは日本の、それも田舎暮らしのおかげだ。都会ではテロが心配だし、イラクやパレスチナはもとより、世界では発砲音に怯えない方がおかしいーという所が多い◆なぜこんな風になってしまったのか。一つには想像力の欠如があると思う。日米英の首相ら三バカを筆頭に、弱い立場の人の痛みを分かち合うことができなくなっているのは悲しい◆以前本欄で紹介したジャーナリスト安田純平君がイラクで一時拘束された。犯人グループは外国の軍隊撤退を求める一般市民に支えられていたようだ。銃声の響かない平穏な暮らしを求める声に、いまこそ耳を傾けたい。 (第43号・6月28日)

「田中康夫をどう思う?」紫煙をくゆらし、ソファにどっかと座って足を組んだ男は単刀直入に聞いてきた。白髪頭で赤ら顔。なんだかマフィア風だ◆「政策や分野によって一概には言えませんが、割と好きですね」。ちょっと考えて答えてから、しまった!と思った。ここは土建屋の応接室。バイトの社長面談にはこんな踏み絵≠烽るのだ◆「脱ダム」や公共事業削減を打ち出し、土建業界に評判の悪い長野県知事。案の定、社長は不機嫌そうに「あいつはダメだね」。なんでも仕事ががた減りらしい。そうはいっても冬場は稼ぎ時だからバイトもあるのだが◆その後の伊那市長選、松本市長選などでは露骨な現職支援を求められた。公共工事だけで食っているような会社は、権力とうまく迎合しないとやっていけないのだろう◆そんな半面、現場の土方のおっちゃんたち(中には七十九歳とかいう爺さんも!)のプロ意識は気持ちいい。昼休みも弁当を食いながら鉄筋組みのやり方で議論が始まるなど、なにせ熱いのだ。来冬もよろしくね。 (第42号・4月21日)

◆2003年◆

    特別号(11月28日) 第41号(11月26日) 第40号(10月24日) 第39号(9月26日)
  第38号(8月27日) 第37号(8月1日) 第36号(6月30日) 第35号(5月26日) 第34号(3月26日)

はい、まな。こんばんわ。にしゃい。おっきいケーキあん(が)と。おかやのばあばとお、あかしのばあばとお、とうしゃんのにいにとお、てっちゃんとまみちゃんとお、じいじとお、ひいばあばとお・・・・◆最近、しゃべり出すと止まらなくなってきたの。お父さんが相手をしてくれなくても、わんわん(のおもちゃ)やてっちゃん(羊のぬいぐるみ)とおしゃべりするからいいの。そういうときにお父さんが顔を出しても、カーテンを引いて「バイバイ」◆この一年、われながら人間的に成長したと思う。ご飯の支度や出荷などの作業を手伝えるようになったし、「ごめんね」と「あんと」が言えるようにもなった◆えっ、言う場所を間違えてるって? 変ねえ。お月さまが出てきたら「ごめんね」じゃないの? あ、それは絵本の世界だけなの。ごめんね◆そろそろねむねむ。かあしゃん、いっしょねんね。あ、とうしゃんバイバイ、バイバイ! とうしゃんあっちねんね。まなとかあしゃんこっちねんね・・・。とうしゃん、お茶。ごめんね。(特別号・11月28日)

 

突然、アンナプルナ農場に大型バスが乗り付けた。近所でリンゴの収穫をしていたじいさんたちはびっくり。学生たちがぞろぞろと降り、自家採種予定の巨大ナスに歓声をあげたり、熱心に質問を浴びせたり◆農場主の母校、八ヶ岳の農業大学校の後輩たち四十人。秋の農業「先進地」(?)見学ツアーだそうだ。かつて肥料袋を抱えて畑を走り回っていたころを思い出したが、今でもその伝統は残っているとか。同じ志を抱く若者と話すのは楽しかった◆その前に見学したのが、完全な無菌室を作って水耕栽培するトマトの工場だと聞いて笑えた。無菌状態なので当然無農薬。それで高値で売り物になるらしい。国策に合致し、何億もする施設の半分は国の補助金=われわれの税金=という◆一方、補助金ゼロのこちらは菌だらけ。雨が続けば畑のそこここでキノコが顔を出す。菌や「ただの虫」(宇根豊)などが複雑、いや有機的に絡み合っている。同じ無農薬栽培でも天と地ほどの差がある実態を、若者たちはどうとらえたのだろうか。(41号・11月26日)

Sが死んだー。大学時代の友人。当時農場主はアカデミックな雰囲気が漂う農学部の林学科に所属しながら、林学三バカの一人として卒業後は畑違いの道へ進んだ。一方、寡黙でこつこつタイプの彼はそのまま研究職を選ぶ◆白血病だった。強い副作用の薬を服用しながら病床で最後の論文を書き、「掲載誌は見られないだろうな」とつぶやいていたそうだ。最近南米から帰国した三バカの一人、Pに聞いて初めて知った。壮絶な死から、もう一年になるという◆農場主と同じ昭和四十年生まれ。若すぎる。一歳の娘や五歳下の連れ合いと暮らしているせいか、農場主は自分が若いと感じることが少ない。でも彼を失ってみると、こんな年で命を奪われちゃかなわんと思う◆春に播いた種が成長して、秋にはたくさんの種に命が引き継がれていく。あるベテラン俳優が「いまは赤秋≠セね」とインタビューに答えていたのを思い出した。「青春」に対する造語だが、真っ赤に色づく充実した人生のゴールのことを、この秋はしみじみと考えさせられる。 (40号・10月24日)

じわじわと、実感がこみあげてくる。すこしの恥じらいと、心からの誇り。阪神タイガース、久々のリーグ優勝である◆告白する。農場主はそれほど熱心なファンではない。今月初め甲子園に家族で出かけはしたが、低迷していた時期は新聞も見なかった。小さい頃、阪神ファンの兄への対抗意識から、一時期、当時強かった阪急(現オリックス)に浮気≠オていたことすらある◆それが学生時代、生まれて初めて優勝した阪神の姿に涙した。北海道での演習林実習の時である。関西人の血を自覚した◆その少し前、実家(兵庫県明石市)周辺の風景は一変していた。小学生のころよく虫取りをした田んぼやため池は埋め立てられて無機質な住宅団地に。そんなふるさとが嫌で、逃げるように北海道へ渡っていた◆失われた風景を優しく補ってくれるふるさとの匂いと、権威への反骨心。自分にとってタイガースはそんな存在だと気付いた。あれから十八年。いまは新しいふるさと≠ナその風景を守る立場となった。人生、おもろいもんや。 (39号・9月26日)

近所のスーパーに共同出荷している有機百姓仲間から「斎藤さんはなんであんなにインゲンを何種類も作っているのか」と聞かれた。確かにモロッコ、穂高、アルプス、島村、そして長ささげと五種類もあると収穫は手間だ◆答えは「自家採種だから」。自分で良さそうな株を選んで種を採り、播いて育てるため、変な交雑をした場合、収穫までこぎ着けない可能性がある。リスクを分散するため、どうしてもいろんな種類を栽培してしまうわけだ◆現在、当農場では米と豆、雑穀のすべて、インゲンやトマトなど果菜類の大半、菜っぱ類と漬け菜、人参、長芋の一部を自家採種している◆理由は? 遺伝子組み替えにご執心の米国種子メジャーから農民の手に種を取り戻すこと、無農薬を標榜する以上消毒種子は使いたくないこと、土地にあった品種を作り出せることーいろいろある◆でも一番は「楽しいから」。種から育ち、次代にいのちを引き継ぐ植物の一生の姿を見られる。間もなく始まる実りの秋は「収穫」から「採種」へと深まっていく。(38号・8月27日)

その電話の主は泣いているようだった。「なんだか不安で、分からなくなったんだ」。要領を得ない話しぶりだったが、当通信愛読者で、阪神タイガースファンということはつかめた◆「ニュースで阪神が勝った勝ったと騒いでいるけど、大本営発表のように情報操作されているのでは。本当はいつものように負け続けているんだ」。戦前生まれだという男は嗚咽しながら話し続ける◆「万が一、勝っているとしても、『通信』で書いていたようにその裏で何が行われているか考えないと。投手陣がぼこぼこに打たれて涙目のハラ監督にも帰りを待つ家族がいることだろう。その心情を察するとかわいそうでしょうがない」◆こう答えた。「阪神はこれまでずっとキョジンに負け続けて、同じ思いをしてきた。巨神戦といっても戦争ではなく正当防衛。借りを返すべく、こてんぱんにやっつければよろしい」◆というわけで農場主一家は9月5日、優勝を確認すべく甲子園に乗り込む。巨人ファンにはごめんなさい。※電話の話はフィクションです。 (37号・8月1日)

教えておくれ/新聞にでてた/あのちょっとしたNEWSの/意味が知りたいー。十年ほど前、忌野清志郎が歌っていた歌の一節である。最近、この歌詞を再びかみしめている◆言わずもがなのイラク戦争のこと。戦前は開戦に批判的だった新聞も、バグダッド陥落後は「勝てば官軍」で戦後復興≠ホかり。国際法違反のブッシュの責任追及はどこへ行ったのか◆そんな中、気鋭のフリージャーナリスト安田純平君のイラク報告を聞いた。農場主の地方紙記者時代の元同僚。日本のマスコミがすべて撤退する中、戦場にとどまって取材を続けた男◆「新聞は戦況ばかり。現場で普通の人々の暮らしに何が起きているかが大切なのに」。米軍に殺された普通の市民の悲しみや、「血と膿と消毒薬の混じった」病院の独特の異臭などは新聞ではなかなか伝わってこなかった◆メディアの責任は当然ある。が、受け手側も、流される情報(操作されたものも含め)からいかに想像の翼を広げ、市民レベルで共感の輪を広げられるか。努力が問われる時代だ。(36号・6月30日)

♪しゃぼん玉飛んだ、屋根まで飛んだー♪ ご存じ野口雨情作詞の唱歌だ。農場主は最近までこの歌詞の本当の意味を知らずに娘に歌ってやっていた。連れ合いに教えられ、調べてみた◆二番の歌詞でしゃぼん玉は「生まれてすぐに」風が吹き「こわれて消え」てしまう。この世に生を受けてわずか七日で亡くなった長女への思いを雨情がうたったという。真偽はさだかではないが、そう思えば歌いながら涙がこぼれそうになる◆こどもたちを取り巻く環境はいま、「風」だらけ。最近ではアメリカに家を爆撃されたイラクの女性が我が子を抱きしめて泣き叫ぶ写真が心に残っている◆日本でも好戦的な法律が次々に整えられようとしている。食の安全性を守るための議論は、酢や牛乳まで農薬に指定してまじめな有機農家の手足を縛ってしまいそうなていたらくだ◆たんぽぽの綿毛を飛ばすのが好きな、一歳半になる我が娘を見ながら、どんな「風」からもお父さんはおまえを守ってやるからな、と心に誓う今日このごろである。親ばかで失礼。(35号・5月26日)

またアメリカが戦争を始め、日本が追随する悲しい事態となった。畑仕事をしながらも、爆撃で死んでいく罪のない人々に思いをはせ、春というのに憂鬱な日々だ◆地方で暮らす一農民に何ができるのか。生まれて初めて反戦デモに参加したり、ネット上の署名活動にかかわったりー。地道に続けるしかない◆そんな中、米国の言語学者チョムスキーの話を中心とした映画を観た。アメリカを「世界最悪のテロ国家」と断じる激しさの一方、ユーモアあふれる好々爺ぶりが印象に残った◆9・11テロについて。「行為の酷さについては驚くに足らない。アメリカはニカラグアなどでそれ以上の残虐なテロを繰り返してきた。今回は、誰が犠牲になったかという点で歴史的。(アジアの)従軍慰安婦が東京でテロを行ったことがありますか?」◆彼を熱狂的に迎える若い聴衆。まだアメリカも捨てたものではない。「世界はバラ色ではないけれど、奴隷制度のころに比べれば随分よくなった」。彼にならい、希望を捨てずじっくり話の輪を広げていこう。(34号・3月26日)

2002年

特別号(11月28日) 第33号(11月29日) 第32号(10月27日)
第31号(9月25日) 第30号(8月19日) 第29号(7月15日) 第28号(6月10日) 第27号(5月8日) 第26号(3月4日)

あっだあ。な!。まんま。ないない(以下斎藤訳)みなしゃん、こんにちは。まなです。一歳になりました。いつもいろいろあんがとね◆思えばこの一年いろいろあったわね。生まれた時はなかなか外に出たくなくて両親をやきもきさせたり、いざ出る時はへその緒を首に絡ませた冗談が通じず焦らせたり◆生まれてすぐの冬は寒かったわ。でも生まれたときから強かった首の筋トレがよかったのか、四月には寝返りが成功。ずっと病気らしい病気はなかったのに、半年すぎてからは水疱瘡や突発性発疹で高熱を出したり、夏から秋はぐずぐずしてお母さんを寝不足にさせたものよ◆最近は少しずつ歩けるようになって、世の中が変わって見えるようになったわ。積み木の箱を押しながら部屋の中を散歩しているけど、すぐに壁にぶつかっちゃう。お父さんが方向転換してくれる時もあるけど、面倒がらないでね。おうちが狭いのが悪いんだから◆二歳になったら話せるようになるかな。その時にはもっといろいろ家庭事情の裏話をしてあげるわね(ぺしっ!) (特別号・11月28日)

一年の締めくくりである。日が短くなってきて、粉雪と太陽に追い立てられるように冬支度を急ぐ。トマトの支柱を片付ける手がかじかみ、ひび割れにキュウリネットが食い込んではひとり悲鳴をあげる◆そんな農場主に近所のリンゴ農家はみな親切だ。「ここ置いとくでね」の声に振り返ると、軽トラの荷台にリンゴの詰まった大きな袋。鳥につつかれたり風に揺られてきずがついたという。有機栽培に取り組んでいる大先輩のも、薬剤散布を全く気にしていないおじいさんのも有り難くいただく。毎年、我が家はリンゴには困らない◆就農して来年で五年目を迎える。まだまだ新米だ。それでも、今年は近所のスーパーに顔写真入り直売コーナーを設けたこともあってか、顔が知られるようになった気がする。「無農薬でやっているんだってねえ」と声をかけられることが多くなった◆牛糞を分けてくれている酪農家など地域の多くの方に支えられての新規就農。まだ何もお返ししていない。愚直に腕を磨き、早く自立することで恩返しをしたい。(33号・11月29日)

虫たちが冬支度を始める時期。農場の育苗ハウスでは、天井にカマキリがいくつも卵を産み付けている。畑でも、モンシロチョウの幼虫(青虫)から、寄生バチの子どもがぞろぞろ出てきた◆そんな虫たちの様子は、幼い頃の日々を蘇らせる。遊びといえば虫取り。カマキリやカエルの卵を孵化させたり、下校中にカナヘビを捕まえては、頭に白インクで通し番号を書いて自宅庭に放したり(まさに生態学のマーキング法!)◆農毒薬や化学薬品に頼らない農業は、毎日がこうした生き物たちとのつきあい。生態系の中から、ほんのわずかの収穫物を受け取り、またそれに代わる物を返す。命の連続とでもいうべき実感がある◆十ヶ月になった娘にカマキリを見せた。怖がるかと思いきや、スバヤク手を伸ばすと握りしめる。カマキリ以上に肝を潰し、あわてて逃がしてやったが、まあ、カマキリとも仲良くして命へのまなざしを養ってほしい。それにつけても、人の命を虫けらほどにも思わないテロリストや某国大統領にはあきれるばかりだが。(32号・10月27日)

ピーク時に二十数種類の野菜が入ったアンナプルナセット。「安い」という声を聞いた。送料を除けば一種類平均百円以下。確かに市価より安い。野菜が高騰した今夏、直売コーナーを設けている近所のスーパーでも同様の声を聞いた◆だが、ちょっと待ってほしい。春から夏、秋へとさまざまな内容に旬の野菜が移り変わる。種類は時には多く、時には少ない。少ない時は当然価格は「高め」になる。それでもセットを定額にしているのは「この金額で契約家庭の基本的な野菜をすべて提供したい」という思いがあるからだ◆年間を通じて責任を持って野菜を提供するのに対し、消費者が農場主の生活を支えることでこたえるーそんな関係作りをしていきたい◆この前提からすれば、安心できるおいしい野菜をーと取り組んでいるうちの野菜を、農毒薬(最近は無登録農薬の使用が話題になっている)を振りまいた名無しの野菜と価格だけで比べないでほしい。市場原理とは違う、消費者と生産者を直に結ぶ「適正な価格」があるはずだ 。(31号・9月25日)

農場主とその同居人が所属する伊那フィルハーモニー交響楽団は今、ベートーベンの「田園」を練習している。あの「セロ弾きのゴーシュ」にも登場する「第六交響曲」である◆自身が楽譜の冒頭に書き残した「田舎に着いたときの晴れやかな気分」とは、まさに農場主が毎朝味わっているものだ◆朝日に輝くミニトマトは宝石のようだし、朝露に濡れた蜘蛛の巣は生きる喜びにあふれている。非農家のベートーベンにも味わってほしかった「晴れやかな」体験である◆こうした農業の楽しさや自然の豊かさを多くの人に伝えたい。そう思って農業に取り組んできた。が、現実はどうだろう。作物を商品としてとらえ、価格や味を比較されるだけ。努力が足らないのは確かだが、ミニトマトを生み出す「田舎の風景」にまで思いを巡らせてくれるのはうちのお客さんくらいだ◆そんなわけで、十一月十六日夜に長野県伊那文化会館で開く定期演奏会では、農民自らが田舎の素晴らしさ、そこで暮らす喜びを精一杯表現したい。チケットは農場主まで。 (30号・8月19日)

先日、農場主一家が住む南箕輪村南原地区の「開拓の想い出を語る会」というのに顔を出してみた。満州(現中国東北部)から引き揚げ、戦後すぐに開拓に従事した古老らが語り部だ◆食糧事情を改善すべく国策として行われた開拓事業。松林を伐り、大豆を播いたが、火山灰土のうえに松林ゆえ酸性が強く、最初の年はかご一杯の種を播いて収穫量は一杯に満たなかった◆四畳一間くらいの小屋を建て、風呂は共同のドラム缶風呂。その水も遠くの川から運んでこなければ手に入らない。配給の米は五人で一食一合。とても足らないのでネズミやカエルを捕まえて炊き込んだという。なんとも凄惨な話である◆その後国策は農業から第二次、第三次産業に取って代わった。経済団体のお偉いさんは「日本農業の効率化を」と農地の流動化、株式会社の農業参入を熱心に訴えている◆そんな時代だからこそ、先人が苦労して切り開いた農地を守り、効率だけでは計れない安全な農産物をつくる喜びを次の世代に伝えていきたい、とあらためて思った。(29号・7月15日)

法定外の食品添加物の問題に関し、ある評論家がラジオで「訳のわからん薬が入っている安い菓子を食っている貧乏人は早死にし、金持ちは高い有機野菜を食べて長生きする」と憤慨してみせた。気持ちは分かるが、例が悪すぎる◆背景にあるのが、エンゲル係数の呪縛だ。百五十年も前にドイツの学者が考えた「所得が多いほど家計における食費の割合が低い」という法則は、食の安全が脅かされている現在、通用しない◆さて、市場経済の中、工場製品同様に価格低下と大量生産を迫られている農産物だが、本来の適正価格があるはず。苦労して作った米が十キロ三千円でスーパーに並ぶのは不思議だ◆生産者が誇りを持って生産した食品を消費者が適正価格で購入する。「フェアトレード」に通じるこの考えに基づけば、エンゲル係数は少々高くて当然だ◆家計全体の中で、命を支える食べ物にどれだけお金をかけるかは、所得にかかわらず生き方の問題だ。食費を削る前に、削るべきお金はありませんか? ジャンクフード好きの評論家さん。(28号・6月10日)

狂牛病が騒がれるようになって以降、牛とは一見無縁の当農場でも徐々に影響が現れてきた。まず火山灰性土壌で欠乏しがちな燐酸分を補うために米ぬかに混ぜてぼかし肥料を作っていた骨粉が販売されなくなったこと◆肉を取った残りの骨を加工して畑に戻すというのは、地域の物質循環という点では理にかなったやり方だ。今後は輸入物のグアノ(海鳥の糞)でも代用しようかと考えている◆もっと深刻なのは酪農家が経営難に追い込まれていることだ。農場主も近所で良質の堆肥を分けてもらっており、人ごとではない。他地域では子牛や廃用牛の薬殺が進んでいると聞く◆牛を牛に食べさせるのは、共食い習慣のない動物にとって明らかに不自然。狭い牛舎で濃厚飼料を与え、ブロイラーのように肉牛を飼育してきたつけだろう◆それでも、この辺の酪農家は開拓地で自ら牧草を育て、健康な牛を育てている人が多い。大きくいえば中ア山麓のたおやかな風景すら作ってきた。堆肥も風景も農場主にはかけがえがない。頑張れ、僕らの牛飼い!(27号・5月8日)

都会ではマンションのベランダなどに巣くい、洗濯物を汚したりして嫌われ者のハト。平和の使者も日本ではさんざんな評判だが、「現代農業」増刊号で興味深い記事が目に留まった◆イランで千年以上前から農民が築いてきた「ハトの塔」。日干し煉瓦を高さ十b以上も積み上げ、野生のハトを営巣させて糞を集める。天敵対策やハトを呼ぶさまざまな工夫がなされ、一つの塔で年間一〜三トンも集まるという◆鳥の糞は、有名な海鳥の糞化石「グアノ」に代表されるように肥料として高い価値がある。ハトの糞も長い間、イランの農民によって畑にすきこまれてきた◆森と畑を行き来するハトは、生態系の中では物質循環を進める血液のような存在。これをうまく利用し、永続的かつ高いレベルの農業生産を可能にした◆遺伝子組み替え作物や化学肥料に頼らず理想的な農業を守ってきたイラン。同国を「悪の枢軸」などと罵倒しているどこかの国の大統領に読ませたいような記事だが、日本でもハトやカラスの活用など考えてもよいのでは? (26号・3月4日)

2001年

          第25号(11/28) 第24号(10/22)
第23号(9/24) 第22号(8/23) 第21号(7/23) 号外(6/3) 第20号(6/1) 第19号(4/3) 第18号(1/15)

 

「はい、息んで」。分娩台の上で同居人に馬乗りになった女医さんがお腹を押す。髪の毛が見え、首にへその緒が二重に絡まった赤ちゃんが出てきた。看護婦さんが必死にほどく。「元気な女の子です」。不覚にも涙がこぼれそうになった◆小学校教員をしている同居人は、立ち仕事の無理がたたり、切迫早産で七月以来休職して自宅で絶対安静の日々に。農場主は畑仕事の一方、同居人のお母さんの応援を得て主夫≠フ役割を担う。「一日でも長くお腹に」と頑張り、十月後半には半月間の入院も体験した◆さて予定日の十一月二十日が過ぎたら今度は兆候が現れず、逆に「体を動かせ」と再入院。陣痛促進剤の投与などを経て、結局は自然分娩に近い形となった◆つよく希望していた立ち会い出産が特別に認められ、感動もひとしおだった。今も、書きながら涙腺が緩くなっているのを感じる◆命の誕生を目の当たりにして、あらためてテロや戦争への怒りがわいてくる。この子のためにも、真の平和の実現にむけ、努力を続けたい。(25号・11月28日)

アフガンから一時 帰国している国連難民高等弁務官事務所の職員、千田悦子さんの話を聞く機会があった。NHKの中継に登場したり、同国の現状について書いた友人へのファクスがチェーンメール化するなど話題の人◆あのテロの日、「怖いね」「気の毒」と我々と同じ感情を抱いたアフガンの人たちが、今アメリカ人に殺されている。悪の権化のように報道されているタリバンは、アジア的な優柔不断さを持つ政権で、女性への人権侵害なども、「布告」の中身と現実の対応はかなり違っているらしい◆「問題の根源は貧しさ」という。ソ連の侵攻以来世界から見放され、干ばつなどで世界最多の難民を生み出している同国。が、国連の活動はこの戦争で停止した。「アメリカに引きずられている国連にものを申せるのは日本。その政府を動かすのは私たちのはず」◆農場主は来月、父親になる。千田さんの祖母が、日本の現状を「真珠湾の時と同じ」と言ったという。対岸の火事と見ていては、次の世代に禍根を残す。過ちは、繰り返してはいけない。(24号・10月22日)

戦争の足音が聞こえる。憎しみの連鎖が、果てしない泥沼に我々を引きずり込もうとしている。けっして、流れに身を任せてはいけない◆米国のテロ事件で犠牲になった方々に、心より哀悼の意を捧げる。でも、憎しみは何も生まない。アメリカに対する憎しみが野蛮なテロを生んだとすれば、それに憎しみで応じるのは愚の骨頂だ◆問題なのは、事件の背景がなにも語られないことだ。ブッシュは「自由に対する挑戦」と叫んだが、アメリカがこれまでグローバリズムの名の下で行ってきたことは、自由への挑戦ではなかったのか。それがテロのように「分かりやすい」形で目に見えないだけだ◆農業分野でみても、「緑の革命」の美名で農薬と化学肥料を世界中にふりまいて伝統的、持続的な農業をする自由を奪い、現在も遺伝子組み替え技術で生態系の破壊を進めようとしている◆もちろん、そうしたグローバリズムに対するプロテストがテロであっては断じてならない。同時に、理性をもって我が身を振り返る勇気を、アメリカには求めたい。(23号・9月24日)

農場主と同居人は昨年結婚する際、長い間話し合った末に別姓で暮らすことにした。その場合、通常は籍を入れない「事実婚」を選択するカップルが多いが、農場主らは「妻の姓」で婚姻届を提出◆同居人の職場ではいわゆる「旧姓」を通称として使えないため、農場主が譲った形。が、婚姻届の「婚姻後の夫婦の氏」の欄にある二ミリ四方ほどのチェック欄に記入した時にはさすがにペンが震えた◆憲法が宣言する「個人の尊重」が踏みにじられたーと感じた。名前というアイデンティティの根本が、こんな簡単に崩れ去る現実に怒りがわき起こった。夫の姓を名乗らされている多くの女性の気持ちが分かり、生まれて初めて、署名活動なるものを身の回りから始めた◆そんな中、選択的夫婦別姓を導入する民法改正案が九月の国会に提出される、とのニュースが飛び込んできた。「非嫡出子」の相続差別の解消には至らないようだが、一歩前進であるのは確か。多様性を認めることと個の尊厳を守ることは同義だ。期待しつつ、論議を見守りたい。(22号・8月23日)

素人さんが農場主にまず質問することに「畑はどのくらいの広さか」というのがある。これはもっともな質問。次に来るのが「主に何を作っていますか」◆親愛なるお客様はこんな質問が有機農業をやっている我々にとって無意味なことはお分かりだろう。何せ栽培している品目は数えたことはないが、軽く百は超える。「主に」という質問は少品目、大規模栽培を中心とする慣行農法の農家だけに対するものだ◆そんなとき、農場主はにやりとしてこう答える。「雑草かな」。実際、先日終わった田んぼの草取りでは畦が累々たるヒエの死体(!)で埋め尽くされたし、畑ではチョウチョ除けでキャベツにかぶせたネットを雑草が持ち上げ、東京ドームのようになっている◆さらに追い打ちをかけるのが、畑での質問だ。「あそこに生えているのはモロヘイヤかね」「このじゃが芋、元気いいね」。「いやそれはイヌビエで」「こっちはワルナスビ」などと正確に答えるのも面倒だ。「ええ、まあ」などと曖昧に笑いながら、今年も草との戦いは続く。 (21号・7月23日)

ネパール時間の六月一日未明、同国でビレンドラ国王夫妻らが射殺されるという痛ましい事件が起きました。農場主は言葉を失っています。 

 農場主が青年海外協力隊員時代の90年4月、民主化運動の高まりを受けて流血の事態を避けるため、あっさり王制から立憲君主制への移行を認め、穏やかな人柄で多くの国民から敬愛されていた国王。同国民の悲しみを思うといてもたってもいられない気分です。

 早速ポカラに住むアマ(お母さん)一家に電話。農場主が妹と呼ぶブディ・クマリは「悲しくて今日は朝から何も食べる気がしない」と少し涙声で話しました。その後、日本で働いている彼女の夫とも電話で話したのですが、「国王は父親か神様みたいな人。あんないい人はいないのに・・・」と絶句。ネパールの中枢から遠く離れたカーストであるグルン族の彼らでさえこの様子。国民の悲しみは頂点に達しているのでしょう。

 民主化以降、政情不安が続く同国。現政権も、亡くなった国王がいたからこそ国民の支持を辛うじて保っていたという一面があります。摂政となったギャネンドラ氏は、残念ながらあまりいい噂を聞きません。極左の毛沢東支持グループによるテロなど、これから国の基盤を揺るがすような不穏な動きが高まらないか、心配です。

 農場主自身は、ネパールに居たときに亡くなった昭和天皇の時と同様、ヒエラルキーやさまざまな因習、制度の頂点に立つ権力者(権力の多寡は問わず)の死には一個人の死以上に特別の思いはありません。それでも、多くのネパール人の友人が悲しんでいる現実を前に、心からお悔やみの気持ちがわき起こってきます。  アンナプルナの神様をはじめネパールの神々、どうか彼の国の人たちにこれ以上の災いを与えませんように。残された人たちがこれからも幸せに暮らせますように。

 通信20号を印刷した直後に飛び込んだバッドニュース。取り急ぎ、雑文をしたためました。繰り返しになりますが、衷心から国王夫妻ほか亡くなった王族の皆さんのご冥福と、ネパール国民に幸多きことをお祈りしています。 (号外・6月3日)

この春育苗ハウスのピーマンにはアブラムシが大発生した。高温多湿で風がなく、天敵も防がれている最適の環境となったからだ◆茎や葉からちゅうちゅうおいしい液を吸われてはたまらないので、去年から取っておいたニンニクの葉の汁を霧吹きでかけたり手で潰したがうまくいかない◆そこで登場したのがテントウムシ君。まだ畑では数が少ないのだが、一匹だけなんとか捕まえて放してみた。アブラムシと共生するアリたちが果敢に噛みついてくるのを振り払い、むしゃむしゃ食べていく。すごいすごい。でも、翌日にはアリの攻撃に堪えかねてか姿を消していた◆やっぱりな、とふと見ると、葉の裏に黄色い卵がびっしり。餌が豊富な所に子孫を残していってくれたのだ。幼虫は成虫以上に食欲が旺盛。うれしかった◆上へ上へ登ることから、天国に席を予約してくれるーという西洋の信仰があったり、日本ではいつもサンバを踊っているイメージがあるが(?)、見かけによらないもの。働き者のテントウムシ君、今年もよろしく頼むな。(20号・6月1日)

 

緑が 萌えたつ春は、農家にとって一年で一番うれしい時期。あれをしよう、こうやろうかと考えながら畑を眺めているだけで楽しくなってしまう◆でも、実は一番食べ物の乏しい時期でもある。冬の間食べてきた漬け物が古くなり、大根や人参など保存野菜もそろそろ底をつく一方、畑では冬菜やホウレンソウの新芽が出てきたとはいえ、まだ食べちゃうにはかわいそうなくらいだからだ◆そんなわけで、「君がため春の野に出てて若菜つむ/我が衣手に雪はふりつつ」(古今集)の心境で、畑の周りから野草を集めてくる。フキノトウをはじめ、ナズナ、甘草、田ゼリなどが主なところ。どれも春の香りにあふれる。ナズナの金ゴマ和えなどたまらない一品◆自給を目指す我が家では「栽培」に加え、こうした「採集」も大切ななりわいだ。さらに、農家仲間には暇をみては近所の沢で釣り糸を垂れる人も。こちらはまさに「狩猟」。貴重な動物性蛋白が得られるこの人類で最も古典的な分野にも、今年は挑戦してみよう。もちろん楽しみながら。(19号・4月3日)

農場主が青年海外協力隊時代に暮らしたガンドルング村は、この十年で大きく変わった。まずは電気が来たこと。水力発電のダムにより、中流以上の各家庭に百ワットの電球一つがほぼ行き渡ったのだ◆加えて、外国人相手のロッジが三十軒ほどに倍増したこと。三階建ての石造りのロッジが林立するさまに、時代の流れを感じる◆財を築いた村人の中には、出稼ぎに出た父親や夫を頼って香港に移住したり、アマ一家のように都市に家を建てるなどし、村で会えなかった人も多かった◆その一方で、女性の識字教育に力を入れたり、伝統文化を保存しようと新たな寺や博物館を建設する動きも。当時八年生(日本の中二)だったあんちゃんは、今では母校の頼もしい先生になっていた◆当時一緒に植林活動をした仲間に会った。職を退いた今は白髪頭になり、妻や水牛と穏やかに暮らしていた。「サイトウは有機農業か。俺も、一生ここでそんなことをして暮らすよ。この村が一番だ」。人生さまざまとはいえ、なんだか、しみじみとうれしかった。 (18号・1月15日)


2000年

第17号(12/15)   第16号(11/20)   第15号(11/3)   第14号(10/20)
第13号(9/13)   第12号(8/21)   第11号(7/24)   第10号(7/3)
第9号(6/29)   第8号(5/18)   第7号(3/25)        
                     

今世紀の農業は、化学肥料と農薬の存在を抜きには語れない。それらの投入により単位面積あたりの収量が飛躍的に増加したことは事実だ◆最近になって、遺伝子組み替えという第三の技術が生まれた。新しい世紀はこれらによって食糧生産がさらに増大すると喧伝する人がいる◆もうだまされてはいけない。「高収量」の陰で農地が疲弊し、第三世界の人々が貨幣経済にのみ込まれ、消費者は環境ホルモンの影におびえるような現状は、このままだと新世紀に引き継がれる「負の遺産」以外の何物でもない◆すぐれた思想家のヴァンダナ・シヴァ氏が指摘するように、戦争で使う爆薬を製造していた企業が「平和目的」に化学肥料製造への転換を打ち出したのが今世紀前半のこと。いまは学者が功をあらそって遺伝子組み替えの研究に没頭している◆いま必要なことは、ヒトという生物としての当たり前の姿を取り戻す闘いだ。来世紀が戦争や農薬、化学肥料などのない平和な世界になることを願いつつ、これからも愚直に、そして楽しく闘っていこう。 (17号・12月15日)

 

寒さが募ると、育苗ハウスは近所の猫どものたまり場と化す。朝、出荷前にハウスの戸を開けると、ころころ・・・と鈴の音の大合唱が聞こえ、各猫がぼかしの袋の上などによじ登ってじっとこちらの動静をうかがっている。猫なで声で呼んでも無反応で寂しいのだが◇なぜか農場周辺には猫が多い。刈り取りが終わった飼料用のとうもろこし畑で、ネズミを追っかけてか飛びまわっている姿を初めて見たときは、アフリカのサバンナで獲物を狙うチーターを連想した◇そんな格好良い姿を見せる一方で、暑い夏には、我が家の直売所に並べた冷たいレタスの上に寝転がって涼をとることも。覗きに来た農業の師匠に、「直売所に招き猫がいるのか」と感心されたものだ◇ネズミ対策で飼ったり餌付けしたのが増えたのだろうが、我が家にあまり「猫の手」は貸してもらえない。これから家の中はネズミの運動会の季節。慣れなくていいし、糞さえしなければハウスも開放するので、頼むからネズ公を一匹でも捕まえてくれ、と祈るような気持ちだ。(16号・11月20日)

 

最近、チベットに関する二つの催しに出る機会があった。一つは人権擁護団体アムネスティが行った講演会。農場主と同い年の尼僧(九〇年、インドに亡命)が、八八年のチベット民主化運動の際、「チベットに自由を」と叫んだだけで中国当局に逮捕、拷問された様子を語った◇自発的に参加したデモなのに「首謀者は誰か」と何回も尋問、所構わず殴られ失神し、その後も局部に電気ショックを与えられるなど、講演の大半は拷問の詳細な説明に費やされた。状況は現在、さらに悪化しているという◇もう一つは映画の上映会。「在日」の若手監督が自分のアイデンティティを探す中でチベット問題に出遭い、ダライラマや尼僧のような亡命者の聞き取りや、ラサで文革時に破壊された寺のルポなどをまとめたものだ◇ともに自分と同世代の人による体験。タナカ知事の「民主化」とはレベルがはるかに異なる状況が身につまされた。何が自分たちにできるだろうか。詳しくはアムネスティのホームページhttp://www.amnesty.or.jp/か農場主へ。   (15号・11月3日)  

 

夕闇迫る中、最後の稲束をはぜ棒に掛けた十二日は、ネパールではダサインの最終日だった。同国最大の祭りで、月末の光の祭り<eィハールまで、国を挙げたお祭り騒ぎが続く時期である◇ともにヒンドゥーの神々の勝利を祝う祭りだけれども、小麦を播いてその苗をお供えしたり、ヤギや水牛などを屠殺したりーと、収穫祭としての意味合いが強い◇その日は我が家でもちょっとした収穫祭。足踏み式の脱穀機でもみにして、精米機で白米にしたのを、頂き物の松前漬けをおかずに祝杯をあげた◇至福である。うまい、という言葉では足りない、感謝の気持ち。お世話になった多くの人の顔が浮かんできた◇家族をはじめ、ゼロからスタートの農場主をあらゆる面で助けてくれた有機農業仲間、地域の先輩、古い機械を譲ってくれた人、何よりも野菜を買ってくれるお客さん…。そしてもちろん、豊穣の女神アンナプルナに感謝の祈りを捧げた。この時期、かの国でラリっているおっさん達ほどではないが、ちょっぴり興奮気味の農場主である。(14号・10月20日)

 

先日、知人に誘われて、松本でサイトウキネンオーケストラのリハーサルを見学した。小沢征爾指揮のベートーベンを二曲。一番安い席で八千円もする本番はとても行けないので、まあ一応話題の「音」を聴いておこうというわけである◇一流の音楽家が顔を揃えているだけあって確かに水準以上で、きらめくような音の渦を楽しんだ。でも、何か足りない。彼が師と仰ぐカラヤン同様、きらびやかだけど、深い精神性とでもいうのか、人生をかけ、全力で作品とぶつかるーといった真剣勝負は感じられなかった◇仄聞するに、イタリアのあるメーカーのバッグが流行っているそうだ。ナイロン製のちゃちな造りなのに数万円以上もするそれが、世の女性の垂涎の的になっているとか◇そういえば、法制化で「有機野菜」もどんどんブランド化するのだろうけれど、芸術でも何でもいったん人口に膾炙すると、「本物」が見えなくなるのが怖い。「アンナプルナセット」だけはブランドになっても(いつの日だ?)本物を究めつづけたい。 (13号・9月13日)

 

朝早く畑で収穫していると、近所の水田から農薬が風に乗ってくる。苦しくて、こんこんとせきをしていると、おじさんが気がついて散布をやめてくれた◇農薬という名の毒をまくことを「消毒」と、何やら衛生的な言葉でごまかし、「減農薬」という言葉が定着する。この言葉遣いの奇妙さは、何だろう◇先日、村の呼び掛けで「ゆうきの会」(仮称)という農家の組織作りにむけての会合があった。誘われて出かけたが、採算の合わない村堆肥センターの需要を増やすのが目的と判明。おまけに規約案によると、農薬は「三割以上削減」、つまり慣行の七割は使って良いというお粗末さだった◇ばかばかしくて、「七割の会」にしたらーと陰口をたたいて帰ってきたが、その後、さすがに「有機」の名称は変更して会が発足したようだ◇言葉の軽さは変わらないけれど、近所のお百姓さんたちは、だんだん無農薬畑に注目してくれるようになった。当たり前の言葉で話せる日が早く来るよう、当たり前の農業を続けよう。 (12号・8月21日)

 

原爆投下、敗戦と記念日が続くこの時期は毎年、各メディアがそろって平和特集を組む。韓国植民地化や「蘆溝橋」、「真珠湾」はほとんど無視してのお決まりパターンなのだが、今年は「沖縄」の露出度が際立っている◇サミットの開催、二千円札・・・。クリントンが摩文仁で演説するのをテレビで見ながら、五年前の忌まわしいレイプ事件がなければ、これほど沖縄に関心が集まることはなかったろうと、たまらない思いがした。加えて、かの国ではどれだけの人が「オキナワ」の意味を知っているのかな、とも。すっかり成長したであろう、あの少女はいま、何を考えるのだろう◇農場主は沖縄を知らない。二十歳の時、自転車で本島を一周した際、南部のあるガマで感じた、背筋が寒くなるような恐怖感が、唯一ともいえる沖縄体験だ。大半の米国民よりましだろうが、語る資格はない◇でも、考えなければ。「朝鮮半島の統一は民族同胞でー」と同様、沖縄の基地問題は私達自身の課題だ。暑い夏、草を抜きながら、沖縄に思いを寄せつづけたい。(11号・7月24日)

 

懸案だった直売所が遂に完成した。家の中で昼飯をかき込んでいると乗用車が止まる音が聞こえ、そっと窓から覗くと品定めをしているおばちゃんがいる。「その大根、買ってくれええ」◆朝、野菜を並べたあとは、何だか釣り糸を垂れているか、鳥の餌台を観察しているような気分だ。売り上げは一日で数百ー千円程度と少ないが、このわくわくがたまらない◆さて直売所が完成した二十五日の夜、某新聞社から頼まれて総選挙の開票速報のバイトをした。町役場の開票場から得票数などをファクスで送るだけというもの。ただ作業を見守るだけの退屈な仕事であるが、拘束六時間余で一万円のおいしいバイトだ◆受け取って、なぜか怒りがこみ上げてきた。苦労して作ったブロッコリーが直売所では百個分の金額。こんなアホみたいな仕事とは明らかに釣り合わない。あらためて感じる、農業を取り巻く環境の厳しさだ◆農場主の脳みそに生じた貨幣価値のダブルスタンダード。それはとりもなおさず、日本社会のひずみを物語っている (10号・7月3日)

 

都会の喧騒、田舎の静寂」といった対比がよくされる。確かに都会の繁華街はさまざまな音にあふれているし、信州の山村では鳥の声がやめば驚くような静寂に包まれることがある◆さて当農場である。「知らない土地で寂しいでしょう」とよく言われる。が、実際には農場は甚だうるさいのだ◆その筆頭は畑の隅の木のてっぺんに一日中いるヨシキリ。ぎゃぎぎゅげ・・・と言っていたかと思うと「ギギギ、ギブギブギブ」と騒ぎ出し、「誰とプロレスしてんねん」と関西人ならずとも突っ込みを入れずにはいられない◆何に不満があるのか、走ってきては「ふん、けっけっけっ」と人の顔を見てはき捨てるキジ、畑の真中に卵を産み付け、近寄ると「わっわっわっ」と飛び立つヒバリ、そして雨が降りそうだと元気が出てくるカエルも◆風向きによっては遠くの畑にいる老夫婦の内緒話が聞こえるし、有線放送のスピーカー、解散前から熱心に回っている某政党の街宣車、ソフトクリーム屋の車・・・。中山間地は都会と田舎の騒音が両方楽しめるのだ。 (9号・6月29日)

 

伊那谷では桜の名所・高遠のコヒガンザクラも散り、リンゴが花盛りになった。フジやスズラン、スミレなどに加えて畑でもレンゲやホウレンソウ、菜の花が満開。まさに百花繚乱だ◆諏訪湖の水を引いたいわゆる「西天竜水系」に借りた田んぼでは周囲で代かき、田植えがどんどん進んでいた。それを横目にハウスの苗作りに精を出していたが、やっと今日でほっと一息、「追いついたあ」という感じである◆慣れない田植え機。代かきをしたトラクターのタイヤ跡に足を取られ、ラインがどんどんずれる。近くの農業の師匠が見に来てくれたスタート時点は緊張もあってまっすぐに植えていたのだが、彼の姿が消えたとたん、苗は田んぼに抽象画を描き始めた◆だだっ広い田んぼに一人ぼっち。とはいえ、カッコウやひばり、カエルの声がうれしい。なにはともあれ、二年目のスタートである。以前は稗が多かったという田んぼ。畑も忙しくなる時期、米ぬか除草など試みて、どこまで草を抑えられるか。戦いは始まった。(8号・5月18日)

 

春。瀬戸内で育ち、「ひねもすのたりのたりかな」の海が春の最大のイメージだった農場主にとって、雪解け進む伊那路の独特の明るさは新鮮だ◆落ち葉の堆肥を切り返しながら、青空に揚げひばりの歌声を聞き、隣の休耕田では金色に満開の福寿草を愛でるー。大好きなハンノキの新緑も間近◆去年はとにかく無我夢中だった。作物の特性も分からず、ただ種を播いて植えて収穫。お客さんには随分変な野菜を送りつけたなあと反省しきり。今年もそんなに急激に上達するとは思えないけれど、もう少し苗のうちからじっくり作物と対話し、本人(?)の持ち味を引き出すような農業をしたい◆ところで、JAS法の改正で四月から有機農産物に関する基準が適用される。私はもともと有機農業といういい方があまり好きではない。生態系に即した当たり前の農業に冠は要らない。当たり前の農業をして、消費者との当たり前の提携ができるよう、今年もいい汗を流そう。正念場の春。期待と決意の春でもある。  (7号・3月25日)